【AM 2:56】


今、この世界で1番大切な物とされているのは、寿命である。


ーー寿命(じゅみょう)とは、命がある間の長さのこと。



生まれてから死ぬまでの時間のことである。



現在、医学の進歩に伴いこの国の一般的な平均寿命は80年前後となっている。



研究を続ければこれから長くなるであろうと推測されている。


…そう。「一般的」には。


時間は誰にでも平等に流れて行く。



が、その中をどれだけの時間過ごせるかはかなりの個人差により分かれて行く。




あくまで、平均。





それ以上に長い時間を過ごすことが可能な人間もいれば。ほんの僅かな時間しか生きることができなかった人間もいる。




……大多数の人間が望む長寿。期限は誰も知ることがない。




数十年後かもしれない。数年後かもしれない。あるいは明日。この文章を読んでいる数秒後に訪れるかもしれない。いつ途切れるかわからない命。



運とも、先祖からの遺伝子とも、日ごろからの自分の行動とも言える寿命の長さ。





たった1度、一瞬の判断の違いにより寿命は変わることもある。


もしあの時あの場所でああしなければ。



少し早ければ、あるいは遅ければ。




そんなほんの僅かな運命の中で、生きている。




生まれた時に神から与えられた寿命。


本来全うして終えるのが好ましいことなのだけれど、使い切る前に不慮の事故、病気により奪われる人間も少なくはない。



人々はいつ終わるかわからないその命に怯える。



恐怖を感じるからこそ限られた時間を有意義に使おうと幸福を求める。


金持ちは死を迎える恐怖から得た大金を紙切れのように使いどうにかして延命しようとあがく。




どんなことをしてでも長く生きていきたい。あるいは死なない体になりたい。





金を積んでも喉から手が出るほど欲しがる。

貪欲に生を求めるものもいれば、反対に。

自ら残りの寿命がたくさんあるにもかかわらず絶ってしまうものもいる。




生まれた時に与えられた命はどう使おうが、基本的には本人の自由だ。


命は与えられたその人自身の物なのだから。



だが…。



勝手に他人の寿命を本人の意思に反して断ち切ること、”殺人”と呼ばれる行為はタブーとされている。



まぁ、この国でそれがタブーとされていたのは、100年ほど前までだったと、されているが。




今ではそのような掟は、あってないようなもの。






どうして掟が無くなってしまったのか、これを読んでいる貴方も今や教えることが義務と定められている為、教育をうける中で知っているかもしれないが…。





これから先、ずっと未来の人々に正しく語り継ぐ為にもここに詳しく記しておこうと思う。



……100年ほど前まで、この国には寿命を自由に伸ばしたり縮めたりできる者たちがいたという。

それは、知る人だけが知っている、というわけ伝承のようなものではない。


今現在も知っている通り国民全体が知っている一種の特別な能力なのだ。



言えば、霊感や病気のようなもの。皆が持っているというわけではない。まるで、神に選ばれたかのように特定の人間にだけ得られる不思議な力。



だが、その能力を持つ者の確率は霊感などの非該当者が認識できないものよりは断然高い。

なぜなら、能力をもっていない人物がその能力を実際に目にすることも、自ら体験することもできるのだ。