『…萌』
次に沈黙を破ったのは、拓真君の私の名を呼ぶ声。
何故かその声音は、いつもより低く男性的で、一瞬ドキリとした。
『君に、言わなきゃいけないことがあるんだ』
すぐ隣を見上げれば、今度はこちらではなく、まっすぐ窓の外を見たまま、神妙な顔で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
その表情から、直ぐに昨夜の件であることは察しがついた。
『えっと…昨日の…駅でのこと、だよね?』
『ん?ああ、そのこともなんだが…』
『だったら、気にしなくて大丈夫だよ?美園が言ってたんだけど、友達でも”雰囲気”とか”流れ”で、しちゃうこともあるんだって。しかも昨日はお互い、一日ずっと恋人の演技し続けてた訳だし、仕方ないよ』
『いや、あれは…』
『あ!それにほら、映画の後、私達ご飯食べながら、結構ビールとか飲んだじゃない?あれで時枝君も、相手が”女性”の私だってことも、一瞬忘れちゃってたのかも…だし』
一気に捲し立てて、敢えて拓真君に話す間を与えなかった。
『だから、ね?本当に気にしないで』
だって、昨日のことを真面目に謝られたら、こんなに切ないことはない。
できるだけ何でもない風を装って、もう一度、拓真君を見上げると、今度は何故か思いつめたような眼差しで、私を見つめている拓真君と視線が重なった。
『…と、時枝君?…どうし』
不意に拓真君の手が私の髪に触れ、そのままスッと頬を滑り、軽く顎を掬いあげられると、抵抗する間もなく、柔らかなキスを落とされる。



