『それじゃ、僕はそろそろ職場に戻るよ』
『あ…うん、いってらっしゃい』
『そうだ』
『何?』
『言っておくけど、明日は会った瞬間から、僕は萌さんの彼氏で、萌さんは僕の彼女になりきること…いいね?』
『う、うん?わかってる…よ?模擬…だもんね』

拓真君の含んだ物言いに、その意図するものがわからずキョトンとしてしまうと、唐突に両肩を掴まれ引き寄せられると、耳元で囁かれる。

『明日は容赦しないから、覚悟しておいて』
『…!?』

ドキッ

『じゃ、萌さん、お疲れ様』

そう言い残すと、囁かれた側の耳元を抑えたまま固まってしまった私を残し、拓真君は足早に今歩いてきた道を戻っていく。

その姿を見送りながら、しばらくその場から動けなくなる。

…トクトクトクトク

さっきからずっと鳴り続ける、この小さく波打つ鼓動は、何なのだろう。

時に溢れ出そうになる、言い表せないほどの複雑な感情。

これ以上、この感情が何なのか、深く考えてはいけないような気がする。

明後日、徳永さん達からの紹介話を、拓真君の力を借りて回避できれば、それでこの関係はおしまいなのだから。

いよいよ明後日に本番を控えた、金曜日の夜。

開き始めた、生まれて初めての感情に、重い鉄の蓋をかぶせることにした。