「遊び半分という気持ちはありません」

それは、いつもやわらかい口調の澤井さんから聞く初めて強い語気を感じる声だった。

父と彼は玄関の扉の隙間から黙ったままお互いにらみあっている。

「真琴は、澤井さんと一緒にいたいのか」

澤井さんに顔を向けたまま父が尋ねた。

「はい」

自分でも驚くほど大きな声が出る。

その時、強く光を放っていた父の目が一瞬影を落としたように見えた。

「ここを出て行くなら二度とこの家に戻らない覚悟はあるか?」

父は続けた。

もう父の住むこの場所には戻れない?

父と母と私の3人の思い出が詰まったこの家に。

「俺は、真琴が家を出る時は結婚する時だと思っていたからな。戻らないという覚悟がないならやめとけ」

澤井さんがようやく私に顔を向けた。

その目がとても寂しくて優しくて、彼の気持ちがどこにあるのかもわからない。

「私は、」

彼の目を見つめながら答える。

「澤井さんと一緒にいたいです」

その言葉を聞いた澤井さんの口元が緩み、私にこくんと頷いた。

玄関の扉がゆっくりと開いていく。

父は今にも泣き出しそうな目をしていた。

口を一文字にぐっと引き、両手は握りこぼしを作っていた。

「娘を、よろしく頼みます」

父はそのまま彼に深く頭を下げた。

「お父さん」

私まで泣きそうになり父に駆け寄ろうとした時、父は顔を上げ私に言った。

「俺の気が変わらんうちに、真琴は今すぐ荷物をまとめてここを出るんだ」

「え?」

私の目から涙が溢れ落ちた。

これまでの父と2人の思い出が一気に時系列に蘇り体中が震える。

父はそんな私に背を向け、廊下の奧のリビングに入って行った。

私の震える体を澤井さんがそっと支え、穏やかな目で私に言った。

「ここで待ってるから」

私は頷き涙を手の甲で拭うと、荷物をまとめに自分の部屋に向かった。