「乾杯!」


 元気に満ち溢れた東堂の掛け声で、誕生日会は幕を開けた。次々と運ばれてくる、マスターの料理はどれもおいしい。しかし、東堂以外は今日初めて会った人達で、かなり気まずい。唯一話したことのある東堂は、無我夢中で飯を食べてやがるし。


「ほら、そんなに慌てて食わなくても、誰も取らねえよ。口に米粒ついてんぞ」


 頬についた米粒を指さすと、東堂は左手で自分の頬に触れる。

 お腹が空いていた、と言っていただけあって、東堂のスタートダッシュは早かった。料理は二人分ずつ盛られているのだけど(僕と東堂の皿と、東堂夫妻の皿だ。東堂の妹はまだ小さいので、東堂母によそってもらっている)、一番始めにきた前菜は、僕の分まで東堂が食べてしまった。

 そんなに野菜は好きでないから構わないが、社長令嬢がこんなので大丈夫なのかと少し心配になる。


「涼夜君は食べないの? とってもおいしいわよ?」

「お前が食べるの早いんだよ。それに、僕は元々小食だ」

「ふーん。食べれる時に食べておいた方がいいと思うわ。いざというときのために」


 食べ物がないなんて、そんな時がきてたまるか。大地震でも起きない限りそんなことはないと思う。まして、お前は社長令嬢だろうが。東堂株式会社が倒産することなんて天地が引っくり返ってもないだろ。


「本当、ここの料理はおいしいわ! 私も大学生になったら、ここでアルバイトをしようかしら。そうすれば毎日食べられるもの!」

「ははっ。そう言ってくれると嬉しいよ。僕も作りがいがある」

 そうとう嬉しかったのか、マスターは相好を崩している。

「いやいや、本当においしいですよ。私はずっとこの街に住んでいるのに、この店のことを知らなかった。全く惜しいことをしました。もっと早くに知りたかった」

「かの有名な東堂株式会社の社長に、そう言ってもらえるとは光栄の極みです」

「いやいや、辞めてください。今日は三十三歳を迎えた、ただの父親ですから」

「なるほど、それは失礼しました。これからも是非ご贔屓にお願いします」


 なんてことのない世間話に、僕は違和感を覚えた。
 三十三歳だと?
 それだと計算が合わない。例え、十八の時に結婚して出産していたとしても、三十五歳より上のはずだ。とはいえ、結婚する前に出産することは可能だから、絶対にありえないとは言えないが……。
 うーん……何だか、闇がありそうだな。やけに妹と年が離れているのも気になるし。

 そして、もう一つ気になるのは容姿だ。
 性格はともかく、世間一般から見て東堂の顔は十分可愛いだろう。大きな瞳に、小さな丸顔。全体的に少し幼く見えるものの、美少女と言える。

 けれど、こう言っちゃなんだが東堂夫妻と妹は冴えない。奥さんも三十ちょっとくらいだと思うけど、どこにでもいる普通のおばさんだ。将来のことは分からないが、妹もそんなに可愛くならないと思う。


 人の顔をとやかく言う前に、自分の顔を鏡で見てこいと言われそうだが、これが僕の正直な感想だ。

 まさか、隠し子か? もしくは養子……あとは奥さんが実は結構歳上だった……とかか。


 ***


「少し話さないかい?」


 剛毅さんがワインの入ったグラス片手にそう言ってきたのは、マスターが丹精込めて作ったケーキを食べ終わった後だった。

 終始テンションの高かった東堂は、疲れたのか妹と並んでカウンターで寝ている。二人が会話をしている所はほとんど見ていないが、こう並んで寝ているのを見ると、顔は似ていなくても、姉妹なんだなと思ってしまう。


「えっと……」


 マスターの方に視線を向けると、いいよいいよとジェスチャーを送ってくれる。マスターばかりに働かせて申し訳ないと思いながらも、僕は剛毅さんと向かい合ってテーブル席についた。

「先日、香織に紹介された男性だけどね、辞めてしまったよ。まだ、香織には伝えていないけどね」

「……え?」

 こないだ紹介した男性というと……あのおっさんが? 家族のために頑張ると言っていたのに

 剛毅さんの言葉に戸惑うも、すぐに平静を取り戻した。今、僕はこの人に試されていることが分かったから。


「ダウト……嘘ですよね。それ」

「何を根拠に嘘だと?」

「根拠はありません。……ただ、あなたが嘘をついていることは確かです」


 剛毅さんの感情円は桃色のままぼやけている。つまり、やましいことがあって、嘘をついているわけじゃない。堂々と嘘をついている、というと語弊があるかもしれないが、理由あって嘘をついているわけだ。


「……君は本当に感情を見れるのか」


 やっぱり嘘か。これで、本当だったらどうしようかと思ったよ。社長の独断で採用した人がすぐ辞めたとなれば、よく思わない社員も多いだろう。それに、そんな話を東堂に聞かせたくはない。


「さあ、どうでしょう? 僕が嘘をついているかもしれませんよ。今のも、適当に言ったら当たっただけかもしれませんしね。あなたも心の中ではまだ信じていないでしょう?」

表面上は分からないが、剛毅さんの心は疑念の色で溢れている。さすが大会社の社長。そう簡単には信じないか。

「私が今日、ここを貸切にしたのは君に会うためである」

唐突な質問とは言えない問い掛けが飛んでくる。これは、イエスかノーで答えてみろという意味だろうか。

「イエスです」

「妻は私よりも年下である」

「イエスです」

「私の趣味はバイクに乗ることだ」

「ダウトです」

「妻の旧姓は夜桜である」

「イエスです。……珍しい名字ですね」

「澪は……娘は養子である」

 剛毅さんの感情円がぼやける。しかし、先程よりぼやけていない。嘘の重大さ、というか現実とどれくらい離れているかで、どれくらいぼやけるかが決まるのだけど……少し嘘をついているということか。

 感情円の色も青色に変わっている。

 青……『悲しみ』か。

 本当の娘じゃないという言葉、剛毅さんの年齢と容姿、感情円の色から察するに──、


「ダウト……ですが、娘は養子はイエスです」


 剛毅さんの息を飲む音が聞こえた。

 まるで時間が停止したように、剛毅さんが固まる。

 僕は何も言わずに、剛毅さんの言葉を待った。


「……参ったよ。香織の話を聞いたときは半信半疑だったが、ここまで当てられると信じるしかない」


 どれくらいの時間が立ったのかは分からない。ほんの数秒かもしれないし、数十分だったかもしれない。
 それくらいの時が過ぎたあと、剛毅さんは大きく息を吐いて、お手上げだといった感じで両手を挙げた。感情円の色も、疑念の色はすっかり影を潜めている。

「じゃあ、本当に……?」

「ああ。香織は血の繋がった娘じゃない。あの子が小学校に入学する直前に引き取った養子だ。僕の妻は体が弱くてね、子供ができないと言われていたんだ。だから、養子を取ろうと思ったんだよ。まあ、その二年後に澪が生まれたんだけどね」

「じゃあ、東堂の本当の両親は……?」

 剛毅さんは目頭を押さえたまま、虚空を見上げる。そして、力強い瞳が僕を射貫いた。

「会ったばかりの君にこんな話をするのもおかしい話かもしれない。だけど、どういうわけだか、私は君を信じられるんだ。香織が始めて自分から紹介してくれた人、というのもあるかもしれない。けれどそれ以上に、私が私の目で見て信用に足る人物だと思った」

 言葉にならない威圧感が剛毅さんから出ているのが分かる。圧倒的自身と、それが虚勢ではないことを示す結果がこの人にはある。

「これでも社長として、何十、何百回と狡猾な人間を相手にしてきたんだ。君ほどではないが、それなりに人の感情……というか本質は見れるつもりだ」

香織の両親の話だったね、と前置きした後、静かに剛毅さんは話し始めた。

「母親はあの子が生まれて数年で亡くなっているよ。父親は……あの子の五歳の誕生日に交通事故で亡くっている。親戚もいなかったみたいで、実質あの子は天涯孤独だ」

 何だよそれ……。
 そんな雰囲気全然ないじゃねえかよ……。

「あの子、よく笑うだろう? 引き取ってからずっとああなんだ。僕のことも妻のことも、出会ってすぐにパパ、ママと呼んでくれてね。血は繋がっていなくとも……あの子は僕達の娘だよ。少し自由奔放で、ちょっとばかり元気が良すぎるときもあるけどね」


 彼女はもっと、順風満帆な人生を歩んでいるのかと思っていた。
 幸せ一杯に包まれた家庭で育ったからこそ、あんなにも人のために行動できるのだと。


 いや、そうであって欲しかった。

 僕がこんな性格なのは、育ちのせいにしたかった。僕自身の問題ではないと思いたかった。
 彼女の人生は、僕なんかの人生よりも壮絶だった。
 こんな話は聞きたくなかった。自分がどれだけ矮小な存在なのか、思い知らされた気分だった。


「これからも迷惑をかけると思うけど、できれば娘と仲良くしてやって欲しい。君といるときのあの娘は、何だか楽しそうだからね」
「……はい」


 腹の底から搾り出した声は、いったい誰に向けたものなのか僕にも分からなかった。