「お話は終わったかしら?」


 おっさんと入れ替わるように、東堂が店内に戻ってくる。両手が泥だらけになっているけれど、まさか花を掘り返したりしていないだろうな……。


「何があったのかイマイチよく分からないんだが」

「え? パパに何か仕事がないか聞いただけよ?」

「………………は?」


 パパに仕事がないか聞いた? ちょっと待て。こいつの父親は社長か何かなのか? ……って東堂?


「東堂のお父さんってもしかして……東堂株式会社の社長だったり……?」

「? そうよ?」

「超でかい会社じゃねえかよ!」


 東堂株式会社。

 全国のバイク生産の約八割を占めている大企業だ。全国展開されているのはもちろん、今やアジアを筆頭に世界各国に進出しているらしい。けれど、僕の記憶が確かなら、本社は違う県にあった気がするけど。


「てことは、東堂って社長令嬢……?」

「そうなのかしら? パパが社長なだけで、私は何もしていないわよ?」

「いやいや、それでも社長の娘は、社長令嬢になると思うぞ……」


 こいつのぶっ飛んだ思考回路や、誰彼構わず助けようとするところは、育ちによるものが大きいのかもしれない。


「あのおじさんどうなったのかしら? まだ、自殺しそうだった?」

「いや、もう大丈夫だと思う。東堂株式会社が雇ってくれるんだろ? なら将来も安泰だろうし」


 あの会社が潰れることがあったら、世界規模のニュースになるだろうしな。


「それは良かったわ! あのおじさんも、おじさんの家族も、これで笑顔になれるわね!」

「……ま、そうだな」

「これからも、どんどん笑顔にしていきましょう! そうすれば、私もあなたも幸せになれるもの!」


 何だよその謎理論は。他人の笑顔と、自分の幸せに因果関係はないと思うけどな。


「今回は偶然上手くいっただけだろ。こう言ったら何だけどさ、金の力で。毎回毎回上手くいくわけじゃない。本当に死のうと思っているやつは、どうしようもないことが多い。……それこそ、自分がスケープゴートになるくらいの気がねえと助けられない。そんなこと──」

「話が長いわ! 次のことなんて考えていても仕方ないでしょう? 今を楽しく生きなくっちゃ!」

「何も考えずに行動しても、ろくな結果にならないぞ」

「涼夜君は暗いわ!」


 暗くて悪かったな。

 こんな目を持っていて、明るいやつがいるなら紹介して欲しいよ。


「スケープ……ドッグ? って意味は分からないけれど、皆の手助けをしたいもの! 思う心さえあれば、何だってできるのよ!」


 ドッグじゃない。ゴートだ。どうして犬なんだよ。

 そんな風に突っ込むことはできなかった。

 爛々と輝く、純白の感情円は今も変わらない。彼女が何を思っているのかは、僕にも分からないけれど、一つだけ確かなことがある。


 東堂香織は、嘘をつかない。


 嘘をつかない人間なんていない。日常会話での、ちょっとした嘘でさえ僕は見抜くことができる。けれど、東堂の心は、全くぼやけることがない。

 いつだって本気で、彼女は他人の幸福を祈っている。

 この世で一番難しいことは、他人の不幸を悲しみ、他人の幸福を祈ることなのに。


「はいこれ!」


 掌サイズの紙を差し出され、受け取ってしまう。そこには東堂香織という名前が、メールアドレスと共に書かれていた。


「私の連絡先よ! また何かあったら連絡して頂戴! じゃあ私は、昼からの授業があるから行くわね!」


 ジャージを脱いで、綺麗に折りたたんだあと鞄に仕舞っている。破天荒な性格のわりに、そういう部分はきっちりしてるんだな。さすがは社長令嬢。


「全く、すごいやつと知り合ったかもしれない……」


 ついさっきのおっさんにも負けない勢いで、東堂は店から出て行ってしまう。

 僕から連絡することはないだろう。他人を助けるなんて無茶は、僕はもう二度としないとあの日誓った。

 スケープゴートになるのは、もうゴメンだ。


 この時の僕は、東堂香織と会うことなんて二度とないと思っていた。