「──私、一色君のことが好きです。私と付き合ってくれませんか?」


 冗談や生半可な気持ちではなく、本気の気持ちをぶつけてきているのは分かる。漫画やアニメの主人公はほとんどの場合、鈍感でありヒロインの気持ちに気づくことはない。そして無自覚のまま、自分に好意を持ってくれる人を増やしていく。もしかしたら、彼らもヒロインの気持ちには気付いているものの、気付いていないフリをしているのかもしれない。

 相手の感情が見える僕でさえ、気付かないフリをしようとしているのだから。


「……えっと、冗談とかじゃなくて?」

「私、こんなことで嘘はつかないよ。どんなときでも、できれば嘘はつきたくないけどね」


 今ここで、彼女の願いを拒絶したら、二度と一緒に出かけることはできなくなるだろう。

 ほんの少し前、いや、東堂と出会うまでなら、即座に断っていたと思う。あのころの僕は、他人と関わろうとしなかった。だけど、東堂と共に行動し始めてからは、あの日崩壊したヒーローを目指すのも、悪くない気がしている。


「あの日は、たまたま僕が近くにいただけだ。僕の名字が一色じゃなかったら、違う人が堂本さんに貸していたと思うよ」

「入学式のことだけで、私は一色君を好きになったんじゃないよ。他にも一色君の良いところを、たくさん見つけたから好きになったんだよ? 出会うタイミングが変わるだけで、私は必ず一色君に恋をするよ」


 彼女は本気だ。

 本気の気持ちには、本気で答えるのが筋合いだと思う。

 だけど、僕は彼女のことを何も知らない。だから、どうすればいいのか分からない。

 人間としての経験値が、僕には圧倒的に足りていない。それもそうだ。中学にも、高校にも、ほとんど通っていないのだから。


 ならば、彼女と一度付き合ってみるのも一つの方法じゃないか?

 彼女と付き合えば、今まで知らなかったことを、たくさん知ることができるだろう。様々なことを体験できるだろう。東堂のような子供といるよりも、彼女といるほうが、人間らしい感情を見ることができるはずだ。

 付き合ってから、彼女のことは少しずつ知っていけばいい。そして、好きになっていけばいい。


「私じゃ……ダメ……かな?」


 それに、こんなにも欠陥品の僕を、彼女は好きだと言ってくれる。それだけで、僕が彼女を好きになる理由になるんじゃないだろうか。

 そうだ。そうに違いない。彼女と付き合うことは、僕にとってメリットばかりだ。唯一のデメリットといえば、東堂とこんな風に散歩できなくなるくらいなんだから。

 いや、デメリットなんかじゃないか。

 だって、僕はずっとこんな面倒なことを辞めたがっていたのだから。

 小さく揺れる彼女の瞳を、真っ直ぐと見据えて僕は答える。


「ごめん。堂本さんのことは嫌いじゃないし、今日も始めは緊張したけど、最後の方は楽しかった。だけど、僕は君のことを何も知らない。だから、付き合うことは、できない」


 自分でも、どうして断ったのか分からない。

 ただ、頭の片隅に一人の少女の姿が浮かんだ。子供達と一緒に、泥塗れになってドッジボールを楽しんでいる彼女の姿が。

 僕はヒーローになりたかった。

 強く、優しく、迷いないヒーローに。


 絶対的な正義の味方になりたいわけじゃない。誰でも彼でも助けるなんて、そんな大それた事を言うつもりはない。

 ただ、目の前で困っている人を躊躇無く助けられる、彼女のようなヒーローになりたい。

 彼女とはもう少しの間、一緒にいたかった。


「……東堂さんがいるから?」


 目を細めて尋ねる彼女の目は、うっすらと光っている。

 僕の目のことを、堂本姉は知らない。だから、彼女は僕と東堂が、何の目的もなく一緒にいると思っているのだろう。


「東堂が関係ないとは言わない。だけど、堂本さんが考えているような気持ちは、僕も東堂も持っていない」


 僕達の間に恋愛感情はない。

 東堂は人助けのために、僕の目を必要としている。僕はヒーローになるためと、父さんの最期に伝えたかった気持ち──つまり、白い感情円を知るために、東堂と一緒にいる。

 お互いにメリットがあるから、僕と東堂は共に行動しているだけだ。


「………………なら、まだ私は一色君を好きでいていいかな。まだ、私にも可能性はあるかな?」

「……未来のことは、僕にも分からない」

「ありがと。その言葉だけで十分だよ。……ちょっと目に砂が入っちゃってさ。涙が止まらないや」


 目一杯の笑顔で答える彼女の瞳からは、半透明の雫が留めどなく溢れている。……それもそうだ。笑顔を浮かべていても、彼女の心は青ざめていて、泣いているのだから。


「ごめん。私、先に帰るね」


 荷物を背負って駆ける彼女の背中を、僕は見えなくなるまで目で追っていた。彼女はああ言っていたけれど、もしかしたら、彼女と話すのは今日で最後になるかもしれない。

 友達になれたのかもしれない人の姿を、目に焼き付けておこうと思った。


「あれ、三奈は帰ったの?」


 誰もいないはずの、隣の席から声がして勢いよく振り返る。すると、泥塗れの服で、水筒に口をつける東堂がいた。

 ドッジボールはもう終わったらしく、たくさんいた子供達の姿が消えていた。


「……って、三奈って誰だ?」

「一色君大丈夫? ついさっきまで、三奈と話していたじゃない?」


 堂本姉の名前は、どうやら三奈というらしい。前に聞いた時は忘れてしまったけれど、次こそは忘れないように、きちんと胸に刻み込む。


「ああ、堂本さんなら先に帰ったよ」


 彼女のプライバシーに関わることなので、理由は伏せておくことにする。第一、告白されたことなんて人に話すものじゃない。


「そうなのね! もう少し、お話したかったわ!」


 何も知らない東堂は、無邪気に笑っている。そんな彼女に、僕は一つ質問したくなった。


「なあ、東堂。どうしてお前は皆を笑顔にしたいんだ?」

「そんなの決まっているじゃない! 笑顔の人がたくさんいると、幸せになれるからよ! だから、私は皆を笑顔にするの!」

「そうか、そうだよな。お前はそういうやつだよな」


 こいつには、理由なんてないのだろう。

 笑顔にしたいから、笑顔にする。

 そういうシンプルな理由しかないのだ。だから、こいつは純真無垢な心で、誰にでも手を差し出せるのだろう。

 過去を乗り越えられない僕とは全然違う。

 コイツは天涯孤独の身なのに、そんな過去はとうの昔に乗り越えている。




 ──東堂香織は、間違いなくヒーローだった。