『千夏、今日はチョコケーキ買ってきたの。食べない?』

「わあほんと!?でもごめん…今から図書館行かないといけないの。期限明日までなんだよね〜」

『そう…それじゃあ帰ってきたらにしましょうか。晩御飯のときに出すわね』

「おっけー!じゃあ、行ってきますっ」

『気をつけてね〜』

…どうしてあのとき、先にチョコケーキを食べなかったのだろう。

どうしてあのとき、図書館に行ってしまったのだろう。

後悔しても、遅いのに。どうして…どうしてっ!!!

____20xx年の今日、この世界が滅亡した____

そのことはニュースを見て知ったわけではない。

人の話から得た情報でもない。

自分の目で“見た”のだ、世界が滅亡したところを。

母からチョコケーキを食べない?と聞かれた。私は図書館に行くと言って家を出てしまった。

帰ったら食べられるのだし、と安易に考えていた。

図書館で本を返却し、出ようとしたときだった。

ドーンという大きな音がし、眩い光が目の前で四方八方に広がっていくのを見た。

咄嗟に耳と頭を守り、その場にしゃがみこんだ。

しばらくして目を開けると、そこはもう地獄だった。

これが地獄というのだと気付かされた。

図書館の壁はなくなり、周りは開けていた。

向かいの駅は無くなり、電車が潰れていた。

近くにある商店街もなく、向こうの山まで見えた。

けれども小さな瓦礫が散乱し、人が死んでいてとても動く気にはなれなかった。

柱と柱がうまく組み合って、トンネルのようになっていた。

ビルは真横に倒れていて、座れそうだった。

血の匂いと、火薬の臭いがした。

一応ハンカチで口元を抑え、低い姿勢で移動した。

ここから家まではそんなに遠くない。

あの山は家のまだ先にある山だ。

直感的に、両親は死んでいると分かった。

住宅街の辺りは何もない。柱がどうとか、ビルがどうとか、人がどうとか。もうそんなことも考えられないのだ。

とりあえず無我夢中で家に向かった。

死んでいるとわかっていても、足は止まらなかった。

家についた。何もなかった。粉が降り掛かったみたいになっていた。

ああ、そうか。この粉は家と両親とチョコケーキなのだ。

住宅街はここまで歩いてきた中で一番被害が大きいように見えた。

辺り一面粉だらけ。

隣の山田さん夫婦には20代の子供がいたはずだ。どこかで生きているだろうか。

生きているはずがない。これは世界中で起こっているんだ。

あのとき。チョコケーキを食べていれば。両親とともに死ねたのに。どうして私一人だけ、生き残ったのかな?

このまま、死んでしまおうか。でも自殺できるようなものはない。

しかたなく自殺を諦め、まちへ戻った。

することもないので、潰れた家の隙間に入ってみる。

空は青かった。なんだか不思議だった。

原子爆弾が落とされたとき、黒い雨が降ったと習った。これが原子爆弾なら同じように黒い雨が降るはず。

これは原子爆弾とは違う爆弾なのかもしれない。

だが、それを落とした国もなくなっているだろう。自分の国を巻き込んでまで世界を滅亡させたかったのか。

考えれば考えるほど分からなかった。

千佳は無事かな。全て消えてしまったのに生きているはずがないよね。

せめて誰かいてくれれば。一人じゃなければ。

ジャリッとガラスを踏む音がした。

死体が動き出したのだろうか。それとも幻聴?

どちらにせよ怖い。少し身構えた。

だが、音を出した張本人はそこから動かないようだ。

しかたなく、隙間から顔だけ出す。人はいない。

今度は思い切って隙間から全身を出した。人はいない。

なんだ、幻聴か…もう一度隙間へ戻ろうとすると今度は確かに歩く音がした。

ハッとして後ろを向く。腰までありそうな黒髪が揺れていた。

黒いタイツに近くの高校の制服。黒髪には白いリボンが付いていた。彼女は振り向いた。

「…誰?」

私が問いかけると彼女は目を合わせてきた。その瞳の奥が冷たいように見えた。

「あおい。あなたは千夏?」

早口でさっさと自己紹介すると私の名前を尋ねてきた。どうして知っているのだろう。

「そうだよ。良かった…人がいたんだ。私ね両親死んじゃって。一人だと思ってたの。あなたがいてくれてよかったよ」

私が素直に胸のうちを話すと、彼女は少し面倒臭そうな顔をした。

「あおいちゃん、あなたは何歳なの?同い年かな?それとも年上?言われれば先輩にも見えてくるよね…」

「あのさ。そこ、あなたの家?」

私が一人で語っているとふいに彼女は私が入っていた隙間を指差した。

「あーううん。知らない人の家。なんかちょうど入る隙間あったからさ」

「そう。じゃあそこが私達の家ね」

あおいちゃんはズカズカとこちらに近づいてくると、隙間を覗き込む。

「二人入る隙間はあるけどものが無いって感じね。仕方ない、探しに行きましょうか」

まじまじと隙間を観察していたあおいちゃんは、私の手を引いて歩き出した。

必要ないことは一言も発さない主義なのか。

なんだか恐ろしくて、私はしきりに話しかけた。

「あおいちゃんはどこの人なの?この辺なのは分かるんだけど…駅より遠いとこ住み?その制服だと私の学校より駅側に住んでないと校区じゃないもんね…確か私立だっけ?頭いいの?」

「…私は、ここの人じゃない」

小さな声。

ここの人じゃないって言った?ああ、小さかったから聞き間違えたのか。

「私はここの人じゃない」

今度ははっきりと聞こえる声で言った。

「…どゆこと?だって制服が…」

あおいちゃんが何を言っているのか分からなかった。

制服は確かに近くの高校のものだ。

駅に寄るとよく見かける。

「それは…あなたは知らなくていいこと」

「ちょ、何それっ…」

全くどういうことだろう。

私はあおいちゃんの言っていることがわからない。

この崩壊したまちをみて、記憶喪失でもしたのだろうか。

「あ、布団があるよ。二人分あるし…これなら眠れるよ。この荷車借りていこうか。あとは食料とかか…地下倉庫とかがあればいいんだけど」

私が一人もんもんと考えている間に、あおいちゃんは物資をあさり始めていた。

物資のことになるとこんなに喋るのに。

「あっ!お酢だ…醤油もある…地下なら安全ね。梅干し…これも大丈夫」

人様の家の床下収納から次々に食料を取り出していくあおいちゃん。

「ちょっ、いくら壊れてるからって人様の家のものを…」

「じゃあ死ねっていうの?生きてるのは私達しかいないんだよ。これ貰わなきゃ餓死するんだよ?」

さっきまでの楽しそうな声はどうした。

私が話しかけた瞬間、あおいちゃんは嫌そうな顔をして反論してきた。

嫌われてんの…?仲間じゃないの…?

「…チッ」

あおいちゃんは舌打ちをした。

そして、髪に結んでいたリボンを解き、ポニーテールを作る。

「ったく、暑くなったじゃん…むだにイライラさせないでくれる?」

暑い?今?

今は5月。

まだ梅雨なんて全然来てないし、夏もまだまだ遠い。

私としてはまだ少し肌寒さ残ってるなーって感じなのに…

それに、あおいちゃんは全然薄着だ。

…あおいちゃんは何かずれてる?

少しだけ、背筋に嫌なものが走った。