「えー」
山本さんが不服そうな顔をしたが、「私も席に戻らなくちゃ」と西島さんが時計を見ると、諦めたように「じゃあ後で」と納得した。私はほっと胸をなでおろす。とりあえず突撃しないでよかった。
「私、ちょっとトイレ」
まだまだ話し足りないという二人を置いて、私はトイレへ駆け込んだ。これは今日中にでもあの二人は佐伯さんの部屋へ押しかけるだろう。佐伯さんに言っておいたほうがいいよね。そう思い、私はトイレの個室のなかでスマホから佐伯さんにラインを送った。
『山本さんと西島さんが、佐伯さんに8階の部屋のことを聞こうとしています』
それだけ書くと、私は急いで自分の席に戻った。経理部はまだ「塩見さん御曹司説」で盛り上がっていて、漫画のようなシチュエーションに大興奮だ。経理部長の「ごほん」という咳払いで、再びみんなが渋々席に戻ると、やっと普通の朝になったのだ。
しばらく伝票処理に集中したけれど、頭の隅にはずっと佐伯さんの秘密がある。そもそも! 私は本当に嘘をつくのは下手だし、できればしたくない。でも秘密をペラペラ喋るわけにはいかないし……ジレンマだ。
ぷるるると内線が鳴ったので、「はい、野中です」と電話に出た。
「西島です、今、塩見さんがシス管を出てったの。ボードに『社内』ってかいてある」
口元を押させているのか、こもるような声だ。
「きっと、8階に行ったの。チャンス!」
「えーっ」
「早く! 野中さんが聞いてくれるんでしょ?」
私が聞くと言った手前、無下には断れない。私はしぶしぶ「うん」と頷いて席を立つと、いつのまにか後ろに山本さんがいる!
「どこ行くの? 8階?」
山本さんは、にこっと笑いかけてきた。
私は逃げられないと観念した。もうとにかくズバンと聞いちゃって、あとは佐伯さんに任せよう。このままにしても変な憶測ばかりが飛び交うことになっちゃう。

