春を待つ君に、優しい嘘を贈る。

「アンタが知るわけがない。だって、こいつの声を聞くことが出来るのは俺だけなんだから」


「なっ…!」


「行くよ、古織」


手のひらが熱い温度に包まれた。それがりとの手であることに気づいた時にはもう、妖しい建物が並ぶ通りからは離れていて。


「(り、と)」


黒髪を靡かせながら、颯爽と歩いている背中に向かって呟いてみた。

背を向けられている今、この声が届くはずもないのに、無謀なことをしてみたの。

名前を呼びたかった。たとえ声にならなくたって、君の名前だけは叫びたかった。

身も心も凍り付いてしまいそうな世界から、私を連れ出してくれて、ありがとうって。


ホテル街を抜け、見慣れた大通りへと出ると、りとは真っすぐに『ANIMUS』がある方向へと歩いて行く。

この繁華街はいつも賑わっていたというのに、今宵は風の音しか聞こえなかった。


「古織」


神妙な口調で名前を呼ばれた私は、俯いていた顔を上げた。

気がつけば、私たちは『ANIMUS』の前に居た。

長方形のお洒落な窓から、楽しそうに談笑している人たちの姿が見える。


「…入って」


私は頷き、中に入った。