色々と思うところが多いというか、納得いかないところも多いが、母の助けのおかげで、お弁当は無事に作ることができた。それも、菜乃華一人で作るよりも、明らかにおいしそうに……。それが余計に悔しいが、何はともあれ出かける準備を整える。

 姿見の前で、最後のチェックだ。まずは服装。上は赤のタートルネック、下は明るいブラウンのハーフパンツに黒のレギンスだ。動きやすさを重視しつつ、おしゃれにも気を遣ったコーディネートである。あと、冷えることも考えて、念のため厚手のパーカーも持っていく。メイクはいつも通りナチュラルを心掛けるが、瑞葉と初めての遠出なのだ。化粧品は、お小遣いをはたいて買った特別な一品を使う。格好・化粧共に少し気合が入り過ぎているかとも思ったが、これくらいは許容範囲だろう。

「よっしゃ! オッケー!」

 格好は決まった。いざ行かん。歩きやすいスニーカーを履いて、お弁当を詰めた重箱を手に外へ出る。

「菜乃華、もう出かけるのかい?」

「うん。行ってきます、お父さん」

「ああ、行ってらっしゃい。車に気を付けてな」

 境内にいた父に軽く手を振り、鳥居をくぐってここのえ商店街に向かう。
 目の上に手をかざして空を見上げれば、雲一つない晴れ渡った青が広がっていた。気温も湿度も程よい感じで、正に行楽日和というやつだ。踊るように足取り軽く、商店街の石畳を歩く。

 いつもの迷路小路に入ってからは、お弁当を壁にぶつけないよう気を付けて進む。そうしたら、最後の角を曲がったところで、箒を手にした瑞葉と鉢合わせた。

「おはよう、菜乃華。足音がしたと思ったら、やはり君か」

「お、おはよう、瑞葉」

 どうやら店の前の掃除をしていたらしい瑞葉が、穏やかに微笑む。菜乃華はその顔を、まともに見ることができなかった。
 原因は言わずもがな、母のいらない入れ知恵だ。不意打ち気味に瑞葉と顔を合わせた所為で、心の準備ができないまま、母の言葉を思い出してしまったのだ。

「どうかしたか。顔が少し赤いが……」

「ううん、何でもない。気にしないで」

 心配そうに顔を覗き込んできた瑞葉に、大丈夫だと首を振る。さすがに、母から「押し倒してこい」と言われて、まともに顔が見れませんでした、とは言えない。

「それより、蔡倫さんたちはもう来てるの?」

「――今、来たぜ」

「おはようございます、菜乃華さん、瑞葉さん!」

 菜乃華が瑞葉に尋ねたちょうどその時、背後から声がした。振り返ってみれば、手を上げた蔡倫と、その後ろに手荷物を持った柊、そして「な~お」と鳴くクシャミがいた。

「みなさん、一緒だったんですね」

「オイラたちも、すぐそこで鉢合わせたんだ。どうやら、グッドタイミングだったみたいだな。んじゃ、早速行くとするか」

「でも、どうやって高峰村まで行くんですか。さすがにバスや電車じゃないですよね。クシャミちゃんはぬいぐるみとか言い張ればいいかもしれませんけど、蔡倫さんはさすがに無理でしょうし」

「心配すんな、嬢ちゃん。ちゃんと、移動手段は確保してある」

 首を傾げる菜乃華の前で、蔡倫が空に向けって人差し指を向ける。菜乃華が不思議そうに指差された方向を見上げると、そこには空飛ぶ牛車が止まっていた。
 あまりにも非現実的な光景に、菜乃華は開いた口が塞がらなくなった。

「何ですか、これ……」

「朧車ってんだ。神様専用のタクシーみたいなもんだな。もちろん、オイラたち神様と無関係な人間には見えてねえぜ」

 蔡倫の声を聞きながら、空の上の牛車を見入る。サルの坊さんである蔡倫や神力など、これまで色々とファンタジーなものを見てきたが、これは過去最大級の衝撃だ。

「でも、どうやってあれに乗るの? あの大きさだと、ここに降りてこられないよね」

「心配するな。ここから飛び乗ればいいだけだ」

 瑞葉が、疑問符を浮かべる菜乃華の肩に手を置いた。どうやら菜乃華が蔡倫と話している間に、支度を整えてきたらしい。手に持っていた箒はなくなり、代わりに夫婦箱が入っていると思しき風呂敷包みを持っている。
 もっとも、菜乃華にとってはそんなことより瑞葉の言葉の方が気になった。

「飛び乗る? 瑞葉、飛び乗るって、どういう……」

「こういうことだ」

 怪訝な顔をする菜乃華を、瑞葉がひょいっと抱きかかえた。いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。

「み、瑞葉!?」

「あまりしゃべらないほうがいい。舌を噛むぞ」

「え? え? どういうこと?」

 真っ赤な顔でオロオロする菜乃華に微笑みかけ、瑞葉が空を見上げる。そのまま彼は、タン、という軽い足音を響かせ、空に舞い上がった。
 何かを考える暇もない。一瞬の浮遊感の後、気が付けば菜乃華は、瑞葉に抱えられたまま畳が敷かれた朧車の中にいた。

「大丈夫か、菜乃華」

「うん、平気……」

 お姫様抱っこしてもらった幸せと驚きに茫然自失しながら、畳の上に降ろしてもらう。
 すると、後ろから蔡倫とクシャミを抱えた柊も牛車に乗り込んできた。

 ようやく思考が追いついてきたが、どうやら高く飛び跳ねて乗り込んだらしい。さすが神様というべきか、人間ではありえない身体能力だ。付喪神という存在の常識外れぶりを再認識した。

「そんじゃ、行くとするか。頼むぞ、朧車」

 蔡倫が声を掛けると、朧車は空中を滑るように進み始めた。
 神田堂一行の行楽旅行は、こうして店主の驚きの中で幕を開けたのだった。