「時に瑞葉、この箱は日曜日にお前らで届けに行くんだよな」

「ああ。それがどうかしたか?」

「いや、吟の家って確か高峰村(たかみねむら)だろう。時期としてはちと早いだろうが、そろそろ紅葉がきれいだろうなと思ってな」

 おとがいに手を当てた蔡倫が、思い出すように言う。

 高峰村は、ここ九重町からさらに北、二つ町を超えた先にある山間の小さな村だ。十一月ともなれば紅葉が見頃を迎え、山々がさぞ綺麗に色付いていることだろう。

 瑞葉と蔡倫の会話を横から聞きながら、菜乃華は思う。考えてみれば、これはまたとないチャンスだ。瑞葉は基本、道具や消耗品の買い出し以外では店を離れないから、一緒に出掛ける機会は今までなかった。けれど、今回は配達のついでという名目が立つ。

 瑞葉と紅葉を見に行けたら、どんなに素敵だろうか。紅葉した木々の下に立つ自分と瑞葉の姿を想像する。「きれいだね」「ああ」とか会話しながら、二人で唐紅の景色の中を歩くのだ。雄大な自然の中で一気に心の距離を縮める二人。流れで手なんか握ってしまうかもしれない。そして、一際大きな楓の木の下で見つめ合った二人は顔を寄せ合い……。

「いいかも……」

 誰にも聞こえないくらい小さな声で、そっと呟く。場面を想像しただけで、幸せのあまり頬が緩んでしまった。
 なお、妄想で幸せいっぱいの菜乃華は気付かなかったが、隣では柊も同じような顔をしていた。考えることは同じである。

「実はオイラ、あの辺の穴場のスポットをいくつか知っているんだ。どうだい、配達がてら弁当でも持って、みんなで紅葉狩といかねえか?」

「いや、私たちは遊びに行くわけではなくて……」

「いいですね、紅葉狩!」

「僕も賛成です!」

 真面目一辺倒な瑞葉の声を遮り、菜乃華と柊が勢いよく賛同を示した。

 ナイスな提案だ。さすがは蔡倫、グッジョブである。この提案を通せば、瑞葉を誘うという高過ぎるハードルを難なく回避できる。渡りに船とはこのことだ。

 できれば二人きりでデートといきたいところだが、それはそれ。みんなでの紅葉狩も賑やかで楽しいし、何よりいきなり瑞葉と二人きりは菜乃華も緊張する。みんなで騒ぎながら、緊張もほぐれたところで少し瑞葉と二人きりになる時間を作る。先程の妄想のように劇的な展開は望めないだろうが、現実路線ではここら辺が無理のない落とし所だろう。

 よって、今一番大切なのは、瑞葉と一緒に遊びに行く機会を得ることだ。使える状況は、何でも使う。菜乃華は(そしておそらく同じようなことを考えている柊も)全力で蔡倫のアイデアを支持し、瑞葉の説得に掛かった。

「ねえ、瑞葉。お仕事も大事だけどさ、たまには羽を休めようよ。わたし、頑張ってお弁当作るからさ。腕によりをかけたやつ!」

「あ、それじゃあ僕は、デザート作ります。こう見えて、お菓子作りは得意なんですよ!」

「いいですね! すごく久しぶりに見直しましたよ、柊さん。任せました。瑞葉もいいよね!」

「お、落ち着け、菜乃華。柊も。いきなりどうしたのだ」

 ただ、相手は『真面目の権化』と名高い瑞葉だ。菜乃華と柊の連携波状攻撃に面食らいながらも、なかなか折れない。さすがだ。

 しかし、勢いは菜乃華たちにある。一人で瑞葉を誘う勇気はない菜乃華でも、この勢いとついでに柊の力を借りれば、押し切ることは不可能じゃない。
 菜乃華はこの流れを切らさないよう、さらに押し込むように続ける。

「瑞葉、知ってる? 日本の法律では、従業員をきちんと休ませないと、経営者は罰せられちゃうんだよ。瑞葉が紅葉狩に来てくれないと、わたし、警察に捕まっちゃうんだから!」

「いや、待て。休むことと紅葉狩は別では……」

「瑞葉さん……菜乃華さんが逮捕されることになったら、九ノ重神社で丑の刻参りしますよ。僕の怨念の限りを尽くして、呪い倒します」

「あ、それはやめてください。うちの神社、呪いはお断りなんで。やったら絶交です」

「わかりました、やめます」

「素直でよろしいです」

「……何をやっているのだ、君たちは」

「ごめん、話が逸れた。では、改めまして……瑞葉、お願い! 今回は、わたしの我が儘に付き合って!」

 よくわからない理論を瑞葉に押し付け、柊に冷静なツッコミを入れつつ、最後は勢いのままに拝み倒す。もはや、色々とぐだぐだである。

 それでも、菜乃華の三連コンボは一応効果があったようだ。瑞葉は根負けしたようにため息をつき、「仕方ないな……」と漏らした。

「わかった、付き合おう。日曜日は、店を臨時休業にしておく」

「本当に!? ありがとう、瑞葉」

 両手を合わせて必死に拝んでいた菜乃華が、驚きと喜びが混じった笑顔でガッツポーズをする。そのまま勢い余って、柊とハイタッチだ。相当舞い上がっている。

 一方、成り行きを面白おかしく見守っていた蔡倫は、肘で軽く瑞葉を小突いた。

「いや~、随分と面白いものを見させてもらったぜ。天下の瑞葉様が、ここまで見事に押し切られるとは……。お前さん、あの嬢ちゃんにはとことん甘いな」

「うるさい。菜乃華は、店主としての務めを感心するほどよく果たしてくれている。労いのために我が儘の一つくらい聞いて、何が悪い」

「悪いなんて言ってねえよ。ただまあ、もう少し素直になれ、とは思うがな」

 蔡倫が窺うように言うと、瑞葉は何も答えずに腕を組んだまま目を伏せた。
 古い付き合いである蔡倫にはわかる。これは、図星というか痛いところを突かれた時の瑞葉の癖だ。最近はとんと見なくなっていたが、経験上、こうなったら瑞葉はもうこの話題を取り合わないだろう。蔡倫は、やれやれと肩を竦めた。

「なんにしても、久しぶりの行楽だ。日曜日が楽しみだねえ」

 賑やかだったり、だんまりを決め込んだり。様々な感情が行き交う神田堂の中を見回して、蔡倫は愉快に独り言ちた。