「よし、できた!」

 大きく息を吐きながら、額にうっすらと浮かんだ汗を拭う。十一月にもなって汗をかいてしまったあたり、自分でも思っていた以上に集中していたようだ。

 もっとも、その集中力のおかげでいい仕事ができた。完成した箱を見下ろし、菜乃華は満足げに頷く。ケースの噛み合わせがうまくいった時から予感していたが、これなら商品として出しても申し分ないと思う。

 ただ、吟に気に入ってもらえるかは、どうだろうか。吟は「菜乃華らしい夫婦箱を作って」と言っていた。そういう意味では、個人的に少しだけ物足りない気が……。

「あ、そうだ」

 余った表装用の布に目を止め、ポンと手を打つ。

「瑞葉、ごめん。ちょっと外に出てくるね」

「外に? どうかしたのか?」

「ちょっと追加の買い出し。すぐ戻ってくるから」

 瑞葉に答えつつ、帳場の手提げ金庫から百円玉を一枚取り出す。これだけあれば、十分だろう。百円をポケットに入れ、神田堂を後にする。

 路地を駆け抜け、ここのえ商店街に出たら、近くの駄菓子屋に飛び込んだ。
 小さい頃から通い慣れたお店だ。目的のものは、すぐに見つかった。ただ、思っていたよりも形に色んな種類がある。ハートや貝殻といったオーソドックスなものから、珍しいものだとベルの形をしたものまで。これだけ選びたい放題だと、逆に迷ってしまう。

「箱を開けた時のことを考えたら、できるだけ平べったいものの方がいいかな。色は、表装の布に合わせて……」

 独り言をつぶやきながら五分間熟考し、厳選した一つを手に取る。店番をしていたおばちゃんにお金を払い、菜乃華は神田堂へ取って返した。

「ただいま!」

「おかえり。何を買ってきたのだ?」

「ん? これだけど」

 不思議そうに首を傾けた瑞葉に、買ってきたものを見せる。それは、四つ葉のクローバーの形をした宝石のようなものだった。

 瑞葉は難しい顔で眉根を寄せながら、さらに首を傾げる。

「なんだ、これは?」

「何って、アクリルアイスだよ。アクリルでできたおもちゃの宝石」

 瑞葉の珍しい表情を堪能しつつ、買ってきたものの正体を告げる。菜乃華が買ってきたのは宝石のおもちゃ、いわゆるアクリルアイスやアクリル宝石と呼ばれるものだ。

「ほう。初めて見た」

「へえ、そうなんだ。ちょっと意外」

 菜乃華の手からクローバーをつまみ上げ、瑞葉が物珍しそうに光にかざす。その瞳は、未知のものに触れて心をときめかせる、少年のような好奇心で満ちていた。
 瑞葉が初めて見せた表情に、菜乃華も自然と心を弾ませる。

「おもちゃでも、結構よくできているでしょ」

「ああ。とてもきれいだ」

 瑞葉の何気ない一言に、菜乃華の心臓が大きく跳ねた。その穏やかな声音での「きれいだ」は、反則だと思う。自分に向かって言われた言葉ではないとわかっていても、思わずときめいてしまう。

 何やら居間から歯ぎしりするような音がしたが、聞こえなかった振りをする。アイドルの追っかけみたいな恰好をした青年なんて、知りません。

「夫婦箱の装飾に、もう一工夫しようと思ってね。駄菓子屋さんで買ってきちゃった」

 瑞葉からアクリルアイスを受け取り、菜乃華は再び作業台の前に立った。材料も揃ったので、作業再開だ。
 何かに使えるかもと持ってきておいたピンクのリボンとピンキングハサミを使って、小さなリボンの花を作る。クローバーのアクリルアイスは、結び目部分のアクセントとしてあしらった。

「ほう、うまいものだな」

「前に、家庭科部の友達に仕込まれてね。今では、目をつぶっていても作れるよ……」

 感心した様子の瑞葉に向かって、菜乃華が力なく笑う。
 家庭科部の友達とは、もちろん唯子である。今年の文化祭の直前、「ちょっと手伝え!」と家庭科室に連行され、延々とこのリボンの花作りを手伝わせられたのだ。あの夜は、夢の中にまでリボンが出てきて大変だった。

 ともあれ、リボンの花を接着剤で表装にくっつければ、ワンポイントの完成だ。どこかのっぺりとした印象だった表装に、立体感が生まれた。できるだけかさばらないように作ったから、箱を開いた際も、それほど邪魔にはならないだろう。

「これでよし!」

 表装にアクセントをつけたことで、菜乃華の中にあった物足りなさもなくなった。吟に気に入ってもらえるかは相変わらずわからないが、自分らしさという点ではこれで文句なしだ。

「できたか。お疲れ様、嬢ちゃん」

 菜乃華が道具の片付けを始めようとすると、蔡倫が土間に出てきた。その後ろに、柊とクシャミが続く。

「可愛らしい箱ですね。女の子らしくて、すごくいいと思います!」

「ありがとうございます、柊さん。それと、いい加減そのハチマキと団扇をしまってください」

 アイドルの追っかけのような姿のまま力説する柊を、菜乃華も満面の笑顔でバッサリと切り捨てた。そんな恰好のままでは、どんなにいいことを言われても、まったく心に響かない。柊への好感度ダダ下がり状態の菜乃華は、もはやオブラートに包むこともなく本音で要求をぶつける。ある意味、ここまで本音をぶつけられる付喪神は柊だけである。恋愛的好感度は、そろそろ最底辺だが。

「これですか? あ、もしかして法被とかの方が、僕の気持ちが伝わりますかね」

「そんなもの着てきたら、翌日から出禁にしますからね」

 しかし、相手は恋に現を抜かして迷走一直線の柊だ。斜め上を行く思考で、とんでもない剛速球を返してきた。本当に法被を着てこられたら適わないので、速攻で釘を刺しておくが……どれだけ効果があることやら。
 菜乃華がどっと疲れた様子でため息をついていると、蔡倫が手際よく片付けを進めていた瑞葉に声を掛けた。