「秘書の君に名前で呼ばれる筋合いはない」

さっきのように怒鳴ったわけでもないのに……それ以上に恐ろしく感じるのは気のせい?

「ですが私は……」

気のせいではないようだ。彼女の声も震えている。

『私は……』の続きは何だろう? パパラッチ並の好奇心で耳を澄ましていると、「僕は君を婚約者だと認めていない」と副社長がハッキリ言う。

おぉぉ! 自称婚約者だったのか!

「でも、秘書課に……」
「全く、父も何を考えているんだろうね」

副社長が盛大な溜息を吐く。

「勝手に花嫁候補を秘書課に集めるとは」
「でも、それは……」

モゴモゴと秘書が口の中で何か呟く。言い難いことのようだ。

「ハッキリ言ったら? 二十五歳にもなって女性に興味を示さないから! 僕がゲイ疑惑を否定しないから! だろ?」

フンと鼻を鳴らす副社長。

なっなんですとぉぉぉ!
ゲイ! 今、彼はゲイと言ったのか?

「ほら、何も知らない子が好奇心いっぱいの目で見ているじゃないか」

アッと口を押さえる秘書。

「そこの君、僕はね、男女問わず可愛いものを愛でるのが好きなだけだ」

「新社屋だって……」と何か続きを話しているようだが、もう何も耳に入ってこない。それよりも、彼の言葉が否定にも肯定にも取れ、どっちだろうと考えていた。

まさかゲイじゃなくバイなのか、と想像の斜め右上をいく人に妙な感心をしていると、彼がいきなり「自己紹介したまえ」と宣う。

そう言えばすっかり忘れていた。彼は丸東建設の副社長だった。

何のためにあんなに逃げ回っていたのやらとガックリ肩を落とすが……二人の視線が執拗に私を追い詰める。

仕方がない。

「山本奈々美です。派遣の建設作業員です。丸東建設の新社屋現場で働いていました。ですが……」