先輩の指さしたカンフー男が僕らのところに来るはずもなく、周りに人のいない場所で立ち止まるといつものように柔軟運動をし始めた。
 どうやら先輩は、まだ諦めていなかったようだ。
しかも話をつけているどころか、まだ話しかけてもいないじゃないか。
 文化部系の人間ならまだしも、体育会系の彼が仲間になるとはとても思えない。
 ただでさえ面識がない生徒に声をかけなければいけないのに、あの怪しさは只者じゃないはずだ。
 また相田先輩の無理難題が始まったかとため息をつこうとすると
「なんだ、利一じゃん」
 つまらなそうに紙パックの野菜ジュースをストローで飲むジョーが、先にため息まじりで呟き、僕らは振り返った。
「あいつはダメだよ、先輩。頭の中にカンフーの事しかないから」
 青井利一というカンフーマニアの生徒と、ジョーは同じF組で、さらに小中学校も一緒だった。
「ようは腐れ縁ってやつだな」
 小学二年生の時にカンフー映画で目覚めた利一君は、その後少林寺拳法の道場に入門し、学校以外の時間をすべてカンフーに費やした結果、中学生の時には全国大会の個人戦で優勝するほどの実力を持っていた。
 この高校に入学した当初は、空手部の勧誘がしつこくあったらしいのだけど
「空手と拳法は全く異なるもの」
と断り続け、帰宅部でも毎日のように道場に通っていて、今はオリジナルの技を編み出すことに夢中なのだそうだ。
 ジョーの話を聞く限り、彼を仲間にするのは不可能だろう。
 そこまで好きなものに没頭している人間が他のことに興味を示すとは到底思えない。
「だったら、なおさら欲しいじゃないか」
 ああ、そうだった。
 諦めムードの漂う中、こんな説明をしたら逆に、山火事に放水車でガソリンを巻くのと同じような人がいたことをすっかり忘れていた。
「全国大会優勝までしているとは知らなかった」
と、相田先輩は目を必要以上にカットしたダイヤモンドのように輝かせ
「うん、うん。それぐらいの成績を持つ人間もトレードしておかないと、我々の優勝は難しいだろう」
 一人納得するように頷いている。