本当の幸せ、ってなんだろうと思う時がある。
祖父が亡くなる前、俺に言った
『幸せはね、秋が楽しいだとか嬉しいだとか、そういう感情になった時のことを幸せっていうのよ。』と。
祖母は厳しい人だったから、滅多にそんなことを教えてくれはしなかった
そんなことを教えるくらいならいい大学、いい仕事について欲しいというのが祖母の他でもない願いだった。
母と父が離婚した時も、祖母は母のことなんて忘れたかのように『秋、お前はあんな風にはなるんじゃないよ』と俺に何度も何度も言った。
実際、母と暮らした事…ましてや、一緒にいた事のない自分には祖母がいう『あんな風』の意味が分からなかった。
立派な大人になれ、ということか
愛してもらえないからといって周りを責めるなということか
祖母は恨めしそうに母の後ろ姿を見て
その数日後に祖母は死んだ。
悔いのない人生だった、と祖母は言わなかった
少なからず、悔いはあったのだろう
自分のことばかりで、祖父のことなんてまるで見てなかった人だった
悔いがあるとすれば祖父とあまり一緒にいてやれなかったということだろう。
しかし、祖父は言う『おばあちゃんはね、秋や沙織(秋の母)のために一生懸命に生きてきたからね。おじいちゃんだって、おばあちゃんに愛して欲しかったけれど、そんなの我儘にしかならなかった。その代わり、霊くんがおじいちゃんの面倒を見てくれたり、愛してくれたんだよ。』と。
父と母は幼馴染みだったらしい
母の焦がれるほど熱い愛は父の誰にでも等しく注がれる愛とは違っていた。
俺、という存在が産まれて
病状の母を心配しながら父は優しい愛を注いでくれた。
母の記憶はまったくないけど
父の記憶ならハッキリある。

その日々が俺の『幸せ』だったと今になって思う