宮殿の使用人の別館でマリルとアクリスは着ていた服を脱ぎ、アクリスにとっては粗末な、けれどマリルにとっては当たり前の庶民的な洋服に着替えた。二人とも白いブラウスにマリルは濃い赤のスカート、マリルは淡い水色のスカートを穿いている。
アクリスは手慣れたものでその庶民の服に違和感は感じなかった。ただ、その愛らしい顔に違いはなく、どの服を着ても美少女であることに変化はなかった。
二人が連れだって城門を出たところで一人の青年が近寄って来た。
「クリス、そちらが例の?」
青年はアクリスに話しかけ、マリルへと視線を向けた。
アクリスはにっこりと微笑む。
「そうよ。…マリル、今から私のことはクリスと呼んでね。アクリスだとバレてしまうから。それから、私もマリルではなくマリーと呼ぶわね。…こちらは騎士のケイト=ハジル」
「…ケイト=ハジルって…それはもしかして…」
この国の騎士のトップではないのか。国王選任の護衛騎士団の団長がその名前である筈だ。確かまだ若く、国王の息子であるトリイとは同年だといつかの新聞で読んだ記憶がある。
「多分、マリーが想像している人物で間違いないと思うわ」
あっさりとアクリスは肯定する。
なぜ騎士団の団長がここにいるのか、国王を護衛する仕事はどうしたのか、なぜお忍びの町歩きに彼がついてくるのか。疑問がマリルの頭の中を飛び回る。
その疑問を察したのかケイトがマリルににこりと微笑んだ。
淡い茶色の髪と黒縁の眼鏡、ラフなワイシャツ姿の彼は、一見して騎士には見えない。体の線も細く見え、温厚そうな爽やかな青年の印象を与える。
「…失礼ながら、今だけはマリーと呼ばせて頂きます。バレてしまっては面倒ですから、敬語も外して宜しいですか?」
聞かれてマリルは頷く。ケイトは安心したように更に笑みを深くした。
「良かった。実は敬語、苦手なんだ。…今日は仕事はお休みだからね。そこに可愛らしいお嬢さん方と城下町の散策のお話が舞い込んできたから、俺としてはこれ以上ない程の休日だよね」
爽やかに笑顔を振り撒いてケイトはアクリスとマリルの肩に手を回す。ぎょっとしてマリルは思わず身を固くしたが、ケイトはそのまま二人を連れて歩き出した。
「ケイト、マリーにベタベタ触らないでね」
「じゃあ代わりにクリスにベタベタしていいの?」
「…ふざけないで」
じろりとアクリスがケイトを睨む。マリルはこの少女が誰かを睨む姿など見たことがなかった。
驚いているマリルの肩から手を離し、ケイトはアクリスを見つめた。
「…怒った顔も可愛いよ」
にこにことアクリスを眺めるケイトを冷ややかに一瞥し、アクリスは自身の肩に乗っている手をつねった。
「痛い痛い!」
叫んで肩から手を離すケイトを無視し、アクリスはマリルへと心配そうな視線を向けた。
「マリー、大丈夫?何もされてないわよね?」
「その言い方、傷つくなぁ…。ちょっと触っただけじゃん」
「ケイトは黙ってて。マリーに聞いてるの」
「大丈夫よ。少し驚いただけ」
アクリスはケイトからマリルを守るように隣に移動すると更に『本当に?』と尋ねた。マリルはもう一度頷く。
「…良かった。何かされたら直ぐに言ってね」
「…ありがとう」
アクリスからのこの信用度の低さに多少の不安を覚えながらマリルはぎこちなく笑顔を返した。








ダカール国王の守護騎士の一人であるケイトは普段はしないであろうお忍びの城下町の護衛に非常に慣れた様子だった。
アクリスは道中、彼の目の前で彼を『風船でできたような軽すぎる騎士』と評した。実際ケイトは町中の娘達から熱い視線を受け、その度に甘ったるい断り文句を口にした。その度にアクリスがケイトに向ける視線は冷ややかさを増していった。そしてその瞳の中にその度に嫉妬の色が映るのをマリルは見逃さなかった。それをケイトが毎回確認し、その度に彼が嬉しそうに笑うことも。
「…私、完全にお邪魔虫よね?」
どちらにともなく呟くマリルに二人が同時に首を傾げた。
「お邪魔虫?何を言ってるの?」
「そうだよ。こんな美人を邪魔だなんて、誰が言うのさ?…あ、アイス売ってるね。二人とも何味がいい?」
ケイトは通りの出店を示す。
「味は…バニラとチョコとイチゴとチョコミントだって」
看板に目を凝らしケイトはメニューを読み上げる。距離としては近くないのだが、よく見えるものだとマリルは感心した。
アクリスはイチゴを頼み、マリルはチョコミントを頼んだ。ケイトは直ぐにそれらのアイスを買ってきてそれぞれに手渡した。
礼を言って受け取りアイスを一口かじる。
マリルの口に独特の甘くすっきりした味わいが広がった。




アイスを食べて城下町を三人でぶらぶらと見て回った。それは確かに気晴らしになる時間の使い方だった。
誰かと話ながら買い物をするのはマリルにはあまり経験がなかったが、アクリスとケイトに連れられて歩く度にその楽しみを感じていた。
だから忘れていたのだ。
自分が追われる立場であることもその身を隠す必要がある存在だということも。



崩れてくる材木を眺め身動きもできないマリルを誰かが突き飛ばした。
地面に尻餅をついて転んだマリルの耳に周囲から上がった悲鳴が飛び込んできた。