出口へと向かうマリルとトリイの前に一人の少女が現れた。
彼女は優雅に一礼するとここは通らせない、とばかりに二人の前に立ちはだかった。
「お初にお目にかかりますわね、マリル皇女殿下。私はリリハ=ブライトウェルと申しますの。…少しお時間を頂けます?二人きりでお話がしたいのですけれど?」
周りの視線は更に熱くなる。
トリイの最有力婚約者候補と見られていた隣国の姫と突如現れた曰く付きの謎の姫の対面。
それもガチンコ勝負である。
これからどうなるのか、会場中の注目の的だ。周囲はあからさまにこちらを見る者もいれば、興味のない振りをして顔を背けながらもチラチラとこちらに視線を向ける者もいる。
その突き刺さる視線にマリルは辟易している。
だから堂々と勝負を挑むリリハにマリルはほんの少しだけ好意を持った。

「…大変申し訳ありませんが、マリルは馴れない舞踏会で疲れているのです。どうかこのまま静かに退出させて頂きたいのですが」
するりとマリルとリリハの間に分け行って、トリイはリリハに笑いかけた。
「トリイ殿下、私はマリル皇女殿下とお話をしたいと申しました。女性同士、二人きりで」
「ですから、マリルは疲れているのでこれから退出したいと申しました」
「私はマリル皇女殿下にお聞きしておりますの。トリイ様ではなく」
じろりとリリハはマリルへ視線を向ける。マリルはトリイに隠されてリリハの目線を正面から受けることはない。けれどそれが、相手の心情を煽っていることは明らかだった。
仕方がないと溜息をつくと、マリルはトリイの陰から出でリリハと対峙した。
リリハは燃えるような深紅の巻き毛と同じ色の瞳を持っている。会場で出会ったアクリスとは全く違う雰囲気の美人である。強く、気高く、そして我が儘。それがリリハが与える印象だった。
マリルは一礼して形式上の自己紹介をする。それからリリハにすくまない様に姿勢を正して彼女を正面から見つめた。
「…場所を移しましょうか?」
リリハは満足げににっこりと微笑む。
マリルは彼女に首を振った。
「結構です。私はお話することはございませんが、お聞きになりたいことがあれば、どうぞ仰って下さい」
「では、遠慮なく。マリル皇女殿下は10年間も行方知れずと聞きます。その皇女殿下が急にこの場に現れたとなれば、私の今からする質問は至極当然のものです。…お怒りにならないで下さいましね。

あなたは本当にシープネス王国の姫君、マリル=シープネス皇女殿下で在らせられますか?その証拠はどこにございますの?」

ざわざわと会場が波打つ。
横のトリイはイラつきを隠すこともなくリリハとマリルを睨み付けた。
彼としてはマリルは謎の姫のまま退出させたかったのだ。余計なことを話して問題を起こすことはしたくなかった。彼はただ、マリルという謎の姫の婚約者を立てて当分の猶予を得るつもりだった。
事実、それができると踏んでいた。
マリルの素性を話せばリリハ、若しくは別の誰かがマリルが姫である証拠を示せと要求するのは解りきっていた。本当は今日までにそれを作り上げる予定だったが、物的証拠は間に合わなかった。だが、今日を乗り切ればまた暫く猶予ができる。舞踏会はそうそうに切り上げてマリルからボロが出ないようにしたかったのだ。
出口まであと数メートル、リリハが話しかけてきた時は予想していたとは言え、酷く腹立たしかった。
その上、わざわざ間に入ってやり過ごそうとしたにも関わらず、マリルが応戦したのだ。
事前にこうなる可能性も説明し、その時は大人しく挨拶のみに留める。その他は口を開かないこと、と散々言い聞かせたにも関わらず。
隣でマリルが小さな吐息を漏らした。
「…私がシープネスの皇女である証拠はありません。シープネス王国の誰かを連れてきて対面するしか確証を得ることはできないでしょう」
じろりとトリイはマリルを睨んだ。
マリルはその視線を受け流し淡々とした表情のまま出口を見つめた。
トリイはそれを見て、それからおもむろに近くのグラスに手を伸ばし、その持ち手をゆっくりと傾けた。
バシャッ。
グラスの液体は重力に引っ張られて当然のように床に向かって落下する。それはトリイとマリルの服の一部を染め上げた。
「…これは失礼致しました。洋服が汚れてしまいましたね。風邪を引いては困りますから今宵はこれにて失礼させて頂きます」
言うや否や、トリイはマリルを引いて出口へと向かう。大人しくそれに従いながら、トリイの退出の大義名分にマリルは大袈裟すぎると溜息をついた。
服の裾が汚れたくらいで人は風邪など引かないものだ。