ベッドの上でマリルに馬乗りになっていたトリイはぴたりと動きを止める。
マリルの顔には恐怖の表情が貼り付いている。その顔は理解できない魔物でも見るようにトリイを見つめている。
恐ろしくて醜い、救いようのない魔物に心底怯えている。
その顔を見た途端、トリイはマリルの上から下りていた。
「…悪かった」
トリイが自分から距離を取るのを見届けてマリルはベッドから降りた。震えが収まるように何度か深呼吸し、マリルは告げる。
「私は無理強いされるのは好きではないわ」
声音は固く、トリイとの間の距離はもっと遠くなるように感じる。少し乱れた着衣を直し、マリルはトリイの横を通りすぎる。部屋の出口に向かい、そのまま扉に手を掛けた。
「おやすみなさい」
今度は振り返らずにマリルは扉を開けて出て行った。






部屋に戻ってきたマリルは扉を閉めた途端に座り込んだ。
心臓は早鐘のように未だに音を立て続けている。手のひらにはじんわりと汗までかいていた。
「…怖かった」
男の人の力だった。マリルの力では逃げられないと思い知らされた。昨日の優しく抱き締めてくれた人物と同一人物だとは思えない暴力的な何かがそこにあった。それは飢えた肉食動物が草食動物を狩る感覚に似ているように思える。
相手の意思など関係なく、欲望のままに行動する傲慢さとそれを許されている強さが、マリルにはこの上なく気に入らない。
そんな風に自分が扱われることを享受することはできない。
それなのに、もっと触れて欲しいと思う自分がいることにマリルは衝撃を受けていた。
無理強いは嫌だ。
けれど、もしそうでないのなら、マリルはトリイを受け入れていたかもしれない。
そう思うと自分がとてつもなく自堕落な卑しい生き物に思える。
「あんな顔…」
自分を責めるような顔をトリイにさせたい訳ではない。
できれば笑って部屋を退出したかった。トリイに見せる最後の顔は笑顔にしたかった。残念ながらそれはできなかったが、勝手に出ていくマリルをトリイは許してはくれないだろう。
「…もう寝よう」
いつまでも後悔しても仕方ないとマリルは立ち上がる。重い体を引きずってベッドまで行くとそのまま眠りに落ちた。



翌日、マリルは王宮を出て行った。
特にこそこそすることもなく、堂々と城門を出る。
マリルは質素な平民の服に着替え、午後を迎えてすぐに行動に移した。
アクリスとトリイはその日は午後から人と会う約束があると前々から聞いていたから、マリルは誰に見られることもなく城門まで来れた。
一度、アクリスとお忍びで城下町に行った経験が活かされている。
その上マリルの顔は王宮内でもあまり知らされていない。
数人出会ったメイドも衛兵も王宮に食材か花でも持ってきた町娘くらいにしか思っていないようだった。
門の脇にいる兵士に軽く会釈し、マリルはそのままそこを出て行った。