急に泣き出したマリルを抱き締めながら、トリイはその黒髪を撫でる。小さく震える肩は華奢で、ほっそりとした腰は力を入れれば直ぐにでも折れそうだ。柔らかく、甘い芳しい匂いに理性が飛びそうになるが、何とか意識を保つために深く息を吐き出した。
「…ごめんなさい…」
びくりとマリルの肩が大きく震える。離れようとするその体をもう一度胸に引き寄せる。
「落ち着いたか?」
「…えぇ。あの、もう大丈夫だから。…逃げないから…放して」
「却下」
戸惑い腕から逃れようとするマリルはトリイへと顔を向ける。
その潤んだ瞳に見上げられてトリイは一瞬息が止まる。
乳白色の柔らかな肌と漆黒の瞳、林檎のような赤い唇。普段は大人びた視線は、今日に限って不安げな子供のように所在無さげに辺りをさ迷っている。
ほんのりと目の縁が赤く、トリイはそっとその部分に触れた。ぴくりとマリルは身体を固くする。
それでも特に顔を背けることもなく、驚いたようにただトリイを見つめている。
触れた肌は滑らかで温かい。
「…あの…」
小さく紡がれた言葉が発せられた唇に指を伸ばし、トリイはマリルの顎を掬う。
そのまま、流れるように唇を触れ合わせる。

溺れている。
理性も効かないほどに、深く深く。

驚いてバシバシと自分を叩く手を掴み、トリイはキスを深くする。
「…っ…」
舌を絡めて奥へ奥へと入っていこうとするトリイの手にマリルは爪をたてる。小さな痛みにトリイは漸く唇を離した。

「…な、何を…」
真っ赤になってマリルはトリイを見つめてくる。
「…その顔、煽ってるのか?」
掴んでいる手を指を絡ませて繋ぎトリイはマリルの身体に力を入れる。マリルが慌てて腕から逃れようとする。その仕草を見ながらトリイは微かに眉を寄せる。
「…逃げるな」
耳元で囁けばマリルはぴくりと小さく動く。それから緊張して身動きが取れずに固まった。その背をするりと撫でれば、小さな悲鳴が漏れた。
「…やっ…」
その声は煽ってるようにしか聞こえない。今にももう一度泣き出しそうな瞳は戸惑いながらもトリイから視線を外さない。
「…どうして…?」
マリルの呟く声にトリイの眉間の皺は深くなる。
「どうして?…それはつまり、理由がわからないと?」
「だって…これではまるで……好きみたいに」
次第に小さくなる声にトリイは苛つきを隠すことなく溜息を吐く。マリルは間違った回答をした後のようなばつの悪い顔をする。
「ごめんなさい、違うわよね」
マリルが顔を背けると、白い首筋がよく見える。真っ白なその肌にトリイは口づけする。
「…やっ」
ぴくりと身動ぎするマリルから唇を離し、その顔を正面に見据える。
「違わない。好きみたいではなく、好きだ」
「…え、と…」
「俺は好きではない女性にキスはしないし、抱き締めて口説くこともない」
マリルの首筋についた赤い斑点を指先でなぞり、トリイはマリルを見つめた。
赤い。白い肌はうっすら赤く染まり、頬と唇がより一層赤く映る。
マリルにはトリイの言葉が異国の言葉のように直ぐに理解できない。
夢ではないだろうか。どこからが夢なのか、判断ができない程にマリルには沢山のことがありすぎた。
マリルはすっと手を伸ばし、トリイの頬に触れる。
そのまま彼の頬を力一杯につねった。
「いて」
トリイは不機嫌そうな声を出し、マリルの手を取る。
「なんだ?」
「あ、夢かと思って…」
「人の頬でなく自分の頬にしろ」
言うや否やトリイはマリルの頬をつねる。しっかりとした痛みにマリルは自分の頬を握っている手を叩く。
「痛い痛い!…ごめんなさい!」
ぱっとトリイはマリルから手を離す。それからマリルを抱き締めていた腕を離した。漸く離れたマリルはほっと息を吐く。
「…で?何をしてた?」
「何も……少し感傷的になっただけ」
「そうか…ならそういうことにしておこう。今はな」
トリイはそっとマリルの手を取る。暖かなその手にマリルは安堵してしまう。
これからあの男と一緒にここを出ていくというのに。
離れがたいと、心底思う。
「…それで、あなたこそ、どうしてここにいるの?」
「カイルが呼びにきた。カイルはマリルがいないと大騒ぎしている」
「あぁ、無事戻ったのね」
あの男の言うとおり他に仲間はいなかったのだろう。何事もなくカイルの名前が出たことにマリルはほっと安堵の息を吐いた。