一頻り泣いた後、アクリスは深呼吸して立ち上がった。
「ありがとう。急に泣いたりしてごめんなさい」
まだ赤い目でにこりと微笑む。
「もういいの?落ち着いた?」
心配そうに尋ねるマリルにアクリスは頷く。
「大丈夫。気持ちは落ち着いたから」
恥ずかしそうにはにかみアクリスは扉に向かう。まだ心配そうに見つめるマリルに一度頷き、アクリスは扉を開けた。
出ていこうとしたアクリスはそこで動きを止めた。
扉の前にはかくれんぼをしていたカイルとアクリスが避け続けているケイトがいた。
「姉さま、見つけた!」
カイルは嬉しそうに叫びアクリスに抱きつく。が、アクリスはカイルではなくケイトから視線を外せない。カイルは微動だにしないアクリスを不思議そうに見つめ、反応しない彼女を見飽きたのかキョロキョロと回りを見回す。部屋の奥にマリルを見つけてカイルはアクリスから離れマリルに駆け寄ってきた。
「マリー!」
ぎゅっとマリルに抱きつきカイルは頬擦りをする。
「姉さま、動かないよ?」
「そうね…どうしましょうか…」
バタン、と音を立ててアクリスは扉を閉める。それは見たくないものに蓋を被せるのと変わらない。マリルは小さな溜息をつく。
「閉めてもどうしようもないでしょう。…カイル、アクリスはケイトとお話があるの。私と一緒にお庭でお散歩でもしましょう」
カイルは散歩の言葉に嬉しそうに頷く。小さな体を抱き抱えてマリルは扉の前から微動だにしないアクリスの隣に立った。
「アクリス、私の両手は塞がっているの。…扉を開けてくれる?」
両手でケイトを抱えたまま自分の横に立つマリルをアクリスはまじまじと見つめた。その視線を受けてマリルは安心させるように微笑んだ。その何もかもを受け入れてくれるような微笑みは、同時に有無を言わさない力がある。従わざるを得ないと、誰にも思わせる。
アクリスは深呼吸をし、扉を開けた。
「…ありがとう。…ケイト、私はこれからカイルと少しお散歩に出てくるわね。暫くしたら戻ってくるから」
先程と同じ位置にいるケイトに向かってマリルは告げる。ケイトは無言で頷き、マリルと入れ違いに部屋へと足を踏み入れた。



パタンと扉を閉める音がする。
入ってきたケイトを避けるように一歩、アクリスは後退りする。それを見咎めてケイトは不機嫌そうに入ってきた扉に凭れた。出口を塞ぐような仕草にアクリスは戸惑う。何か話さなければと思えば思う程に、緊張で口の中がからからになる。
「…あの…」
漸く出た言葉はその先が続かない。何を言おうか、結論が出ずにアクリスは口を開けては、思い留めて口を閉める。その様子を眺めてケイトは溜息をつく。
「…なんで避けるの?」
声には押し殺した怒りが感じられる。びくりとアクリスの肩が震える。
「…避けてるわけでは…」
「避けてるよね?」
ケイトの声音には有無を言わさない響きがある。何を言っても言い訳になることがアクリスにもわかっている。小さくアクリスは呟いた。
「…ごめんなさい」
俯き、視線を床に向ける。
その姿を少しの間じっくりと観察し、ケイトは再び溜息をつく。溜息にも纏う雰囲気にも怒りが滲んでいる。
いつものあの何もかもを適当に流す気配は微塵もない。徹底的に話し合うつもりなのか、ケイトは無言でアクリスに近づく。
アクリスはびくりともう一度身を震わせる。逃げ出しそうに足が動くが、アクリスは意思の力でそれを押し留める。ぐっと力を入れて挑むようにケイトを見上げた。その見慣れた顔は間近に迫っている。
ケイトの、髪よりも濃い茶色の瞳がアクリスを見つめている。その目には思案するような、責めるような、欲望を秘めているような不思議な色が浮かんでいる。正面からそれを受け止めてアクリスもケイトから視線を外すことができない。
「…逃げるなら今だよ」
小さな声でケイトは囁く。警告するような声音にアクリスは瞬く。
「どういう…」
『どういうこと?』そう言おうとした言葉は最後まで続かない。
ぐいっとケイトに引き寄せられてそのまま唇が押し当てられる。強い力で抱き寄せられて顎に触れている手によって顔はケイトから離れない。角度を変えて何度も口づけられる。
「…んっ…」
背けようとする度に引き戻されて触れる唇から吐息が漏れる。
抱き寄せられている腰に回っている腕に力が加わる度にアクリスも無意識にケイトの服を強く握る。
飢えた獣が餌に噛みつくように、留まることのないキスがアクリスの意識を奪っていく。
体も脳味噌も蕩けそうな感覚に全てを委ねそうになりながら、ケイトは無理矢理唇を離した。
間近に見るアクリスは驚きと不安が混ざったような顔でケイトを見上げている。そこに非難の色はない。恋い焦がれた少女を腕に抱いて、その瞳が責めていないことがわかり、もう一度その唇に触れることを我慢できなかった。軽くキスをしてケイトは自分の意思の弱さに自分でも呆れてしまう。職業柄、意志が弱いとは思っていなかったのだが、そうでもなかったらしい。小さく溜息が出る。
「…ごめんなさい…」
ケイトの溜息を聞いてアクリスは焦って離れようとする。それを腕に力を込めて遮ってケイトは首を傾げた。
「なんで謝ってるの?」
どちらかと言えば謝るべきは自分の方なのだが、アクリスは困ったように顔を伏せてしまう。赤みを帯びたその顔が可愛いらしい。
「…顔、上げて」
もっと見ていたいと全身が渇望している。ケイトの声に大人しく従ってアクリスは顔を上げた。
「……好きだよ」
耳元に囁けば、アクリスは顔を真っ赤に染め上げる。信じられないものを見るようにケイトを見上げて、アクリスは口を何度か開け閉めする。ぱくぱくと声にならない仕草を繰り返す。赤くなった顔と合わせると金魚のようだとケイトは頭の隅で思う。
「…嘘。信じられない…」
「じゃあもう一回キスする?…信用できるまで何回でも」
「は!?」
反論を防ぐようにケイトはもう一度アクリスの唇に触れる。また離れることができるくらいに短く、数回続けて。
「…待って。…もう一回言って」
何度目かの離れた時に、アクリスは呟く。見上げてくる琥珀色の瞳は見間違うことなく潤んでいる。それを見つめてケイトはふっと微笑んだ。
「…好きだよ」