リビングに降りると、母親はもう出勤していた。
大河が迎えに来るようになってから、母親は今まで時間短縮で行っていた仕事を定時に戻している。

梨佳は食欲のないまま用意された朝食を無理やり胃に押し込むと、続けざまに、色形も取りどりの薬を食べた。

あんなに“高橋先生には言わないで”と頼んだのに、結局翌週の受診で、電車内で倒れたことを大河にバラされてしまった。

夢のことは気付かれなかったけれど、薬が増えた。

心底、無駄だと思う。

心臓の記憶に、こんな薬は効きやしない。


玄関ドアを開けると、どんより曇った鈍色の世界が広がっていた。

梨佳の目に、玄関先で待つ大河だけが、いつものように鮮明に色づく。

とてもキレイで、ずっと見ていたいのに、ふと今朝の夢の内容を思い出して、
梨佳は、後ろめたさに目を逸らした。


「先生にしゃべった事、まだ怒ってる?」

「ぁ、え?…何…を?」


上の空で返事をする梨佳に、大河は普段とは違う雰囲気を感じる。


「梨佳…?」

「……だ、大丈夫!何でもないよ?ちょっと、ボケッとしてただけ」

「…ちゃんと、寝てる?なんか、最近、顔色悪くね?」

「寝てるよぉ、ほら、行こ?遅刻しちゃう」


梨佳はあわてて笑顔を作り、顔を上げる。

そんな梨佳の表情の奥底に、
しかし、大河は不安の影を見逃さなかった。

だてに長年幼馴染をやってきたわけじゃない。

そしてそれは梨佳も同じだろう。

梨佳は、大河の眼差しが何かを探るように変化したことに、すぐさま気づくと、
逃げるように駅を目指した。

心臓の記憶を、
凪紗の記憶を、

大河にだけは、絶対に、絶対に知られたくない。