3・4時限目は芸術の時間。
それは、3・4・5組の合同授業になる。
美術。書道。音楽。
それぞれが好きな科目を選択して、場所を分かれて授業を受けるのだ。
音楽は、ひたすらピアノに合わせて合唱。学校校歌に始まり、コンクールの課題曲、歌謡曲もたまに。聞いていると、一人だけ、ドンドンガラガラ♪と、やたら声のデカい輩が居て、コーラスもハーモニーもブチ壊し。(永田だ。)
一方、美術は……それはお遊びタイムと化している。
風景画を描くと称して校外に散らばり、女子などは仲間とお菓子を広げる。
美術教師の思い描く理想的な優雅な時間は、そこには無い。
俺と黒川は、書道を選択していた。
遊んでいる美術組を時々窓から眺めながら、黙々と書く。
書道は、書道って雰囲気の輩が集まると思う。そこには阿木もいる。
確かに、それらしい。
桂木は1年から美術で、右川も大方の予想通り美術だ。
まるで絵に描いたように、それらしい。
最近は、迫る大会で頭が一杯。宿題も、考えては止まり、何かを書いては外を見ながら何か考えるといった感じで、落ち着いて何かに集中する雰囲気じゃなかった。ほとんどの決め事が落ち着いた今、やっと静かに筆を走らせる事ができると言える。
テーブル向こうの黒川は、ほとんど何も書いていない。
と思ったら、突如として電気でも流れたかのように一心不乱に書き始める。
意中の吉森先生でも居たのか?と、ぼんやり考えた。
合間の休憩時間になった。
座りっぱなしなので思い切って外に出る。
美術組、ノリの様子でも見てくるか。
『どこに居る?』と送って、返信を待つ間、当てもなく校舎を彷徨った。
校舎棟を出た所で外の風が強く吹き込んで、体ごと押し戻されそうになる。
風の強い日。
雨の日。
やけに暑い日。
6月は、不安定な天気が続く。大会当日の空模様は予測がつかない。
「中止にならないかな」
思わず独り言が出た。
生徒会あるある……正直、そんな事を考えてばかりだ。
行事は、無事に終わらせる。とにかく、そればかりを考える。
ワクワクするとか、待ち遠しいとか、そんな気持ちには程遠い。
「いつもいつも。ツマんない、か」
改めて声に出すと、ただただ、侘しい。
そこへノリから返信。
『工藤と美術室に居るよ。〝浜子ちゃん〟と一緒に』と来る。
〝浜子ちゃん〟とは、美術室にある石膏像だ。もう1つは〝双葉ちゃん〟と呼ばれている。どっちも男の彫像だという事を、一応お伝えしておこう。
スマホ画面を手繰ると、履歴に〝桂木〟の名前があった。
着信も通話も、最近は殆どを桂木が占めている。
付き合っている彼女だから、電話もラインも当たり前。
それでもこういう時、俺は桂木ではなくノリと過ごす方を選びがちだ。
桂木の居所を自分から探し求めてまで、どうしても行く気が起きなかった。
自分からは距離を縮めない。セーブする気持ちが、どこかで働いて。
温度の違い。
最初から分かっていたとはいえ、桂木の本気度が分かるにつけ、いつか辞めるもう辞めると思いながら、様子を探りながら、時間だけが経ってしまった。
俺の辞めたい気持ちと、桂木の続けたい気持ち、そのバランスの戦い。
校舎の1階は3年クラスが並ぶ。5組の窓から中庭に出る事もできる。
美術室のある芸術棟への近道にと、俺はクラスに入った。
偶然だった。
誰もいない教室。
空いている窓の外から聞き覚えのある声がする。
こっそり覗くと、そこのちょうど真下に右川がいて、壁にもたれ、画材をそこら中に広げたまま音楽を聞いていた。
すると右川が突然、右方向に向かって画用紙をかざす。
「ねぇー見て♪サラッと描いちゃったんだけど、絵心見当たらないって感じ」
誰かに笑い掛けた。
友達でも来たのかと様子を窺っていると、やってきたのは……桂木ミノリ。
俺は、すぐに壁際に引き下がって窓の下に隠れた。
「隣いい?」と訊かれて、恐らく右川と桂木は、並んで座った。
右川が、イヤフォン外した、そんな雑音が続く。
「右川。何か、ごめんね」「え?何が?」と、そんなやり取りの後、
「せっかく右川が生徒会一緒にしてくれて。でも、なんかまだまだ片思いの延長っていうか。あんまり重たくなっちゃいけないって気を付けてるんだけど。上手くいかないね」
立ち聞きはいけないと思いつつ、正直、聞いてみたい衝動に突かれた。
その時、不意に気配を感じてクラスを振り返ると……黒川が居る。
黒川はガムを噛みながら近づいて、外から見えない壁際に背中越しで隠れた。俺を責めるでもなく上から目線で眺め、人差し指で思わせぶりに合図する。
〝黙ってろ〟
同罪の意図を迫った。
それは本意じゃない。
俺が立ち去ろうとすると、黒川は咄嗟に俺の制服を鷲づかみ。
外から会話が流れてくる。
「ミノリって、沢村と……どこまでいった?」
「キスまで、かな」
俺は目を閉じた。
嫌な予感が、的中。これ以上は、もう何を言われても同じだ。
黒川も、これ以上の束縛は無用と判断したのか、制服を掴んだ手を離すと、思わせぶりにガムを1粒寄越す。貰うわけない。
ふーん、と右川は頷いて、
「で、それのどこが上手くいってないの?」
画用紙を置く。筆も置く。そんな音が続く。
「ミノリと沢村は学校にいる間ずっと一緒でしょ?クラスも生徒会も一緒。お昼も一緒。帰りも一緒。片思いとかいって、それでキスまでいけたら言う事ないじゃん」
「でも、やっぱり気持ちが追い付いてないっていうか」
「片思いから始まったうちは仕方ないっしょ。ツラいの分かるけど、あたしからすると羨ましいかな」
「あの、お兄さん?」
うん、まぁね♪と、どこか誇らしく、右川が頷く。
「アキちゃんとはご飯とか一緒に食べたりするけど、殆どの時間は離れてるし、キスなんてまだだし、もっと言うと……もう10年もこんな片思いだし」
「10年……」と繰り返して、桂木は黙る。
恐らく、絶句している。
「まるで遠距離だよ。だーかーらー、ミノリはこの短期間にそこまでいけたんだから、凄いじゃん。ほんと羨ましい。思いの違いは確かにツライかもしれないけど、沢村は所詮ガキなんだから、ちょろいって」
「ちょ、ちょろい?」
「あいつの本性はビビリ。ヘタレ。チキン野郎。重森みたいなゲロクソですらブン殴れないヤツ。つまり、ミノリが離れていかない限りは平気って事。基本、優しいヤツだしね」
まるで他所の国の言葉のようだ。
俺が優しいとかいう右川の声を、リアルに初めて聞いた。
優柔不断を晒された事より、ちょろいガキ扱いより、それが頭を回る。
「あのさ、またこんな事訊いて。しつこくてごめんね」
桂木は前置きして、そこからしばらく沈黙が続く。
やがて言いにくそうに、
「右川は、本当に沢村とは、何でもないんだよね?」
「無い。ありえない。今まであいつを特別意識した事は1度も無い。このブラックサンダーを賭けてもいい!」
黒川を横に、身の毛もよだつようなやり取りが続いて、何度も逃げようかと迷った。ここにきて、右川の完全なる否定に、少しだけ落ち着きを取り戻す。
いや、落ち着け……と必死で、ずっと自分に言い聞かせていた。