「山下さんって、先生なの?」
「資格はね。採用はまだだけど」
「数学の?」
「まー、理数系っていうか」
「それでおまえは数学以外が全滅か」
「だったら何なの」
山下さんに相手にされなかった腹いせか、やけに尖っている。
ここで喧嘩になっても……と思いながらも言いたい事は言う覚悟だった。
「自分だけ一方的なのも、どうかと思うけど」
「あたし達は、これからなの。卒業したら今とは違うんだから」
「そう思ってるの、おまえだけだろ。あっちは全然、保護者じゃないか」
「今は確かに保護者だよ。親の手前、アキちゃんにはそういうケジメがある。あんたみたいに中途半端じゃない。ミノリと、はっきりしないままどこまで行くんだか」
「誰のせいでこうなったと思ってんだよ。おまえが変な入れ知恵しなきゃ桂木とは最初から普通にやれたんだ」
「ミノリは最初からあんたが好きだってハッキリしてた。あんたみたいに迷いながら付き合ってないよ」
「山下さんは迷ってんだろうな。特別でもなんでもないのに、いつまで一緒にいればいいのかって。これじゃ彼女も家に呼べない」
「彼女なんて、いない」
「そんな訳ないだろ。あれだけイケてんのに。聞いてみたのかよ」
「聞かなくてもわかる」
「聞くのが怖いんだろ」
「うるさい!」
いつもとは違う展開だった。行き止まったのは、右川の方だ。
これ以上言えば追い詰めると、どこかで歯止めをきかせて……山下さんを庇って出る台詞は、そっくりそのまま自分自身に当てはまる。
まるで自分に言い聞かせている気分だった。
「おまえの言う通り、俺は迷ってるよ。桂木と、このままでいいとは決して思ってないし。山下さんも、そうなんじゃないかって、ちょっと思った……だけ」
右川は、とっくに冷めたコーヒーを一気飲みした。
「あんたってさ、そういう類の悩みとか焦りとか無いでしょ。いつも何とか、適当な誰かとうまくいってさ」
悩みがないとは、言われ過ぎだ。
「あたしはミノリの気持ち分かる。ミノリは、あんたを好きだから大抵の事は嬉しいだろうけど、たくさん頭に来る事もあるんだよ。あん時、何でミノリも一緒に行こうって、すぐに言わないの」
その通りだ。
それが言えなかった。
そして、あの時こそ、ハッキリとけじめをつけるべきだったと。
長い沈黙の間、下からテレビの音がする。
笑い声とか、お金が転がる音とか。
「ごめん」
謝ったのは右川が先だった。「いや、俺も」
右川が、あああー!と髪をくしゃくしゃに掻いて、「あんたと込み入った話すると違う事でケンカばっかり。全然まとまんないじゃん。もう最悪。地獄っ」
俺も同感。ケンカは最悪。これ以上体力を使いたくない。
気持ちの切り替えに、俺は残りのコーヒーを一気に煽った。
「仕切り直し。とりあえず込み入った話の続きをやってくれ」
……今日の一件。
聞けば、打越会長から、「沢村くん、大丈夫かな」と、ずっと心配されていたらしい。それに、まず驚いた。
「心配?」
「いつか、あいつらが何かやるんじゃないかって事」
「打越って、グルじゃなかったのか……」
「黙認してる時点で、ほぼほぼグルだと思うけどね」
右川はスマホを開いた。
「沢村くんに謝っておいてって、メール来たよ」
ほら!と見せて寄越す。
『オオゴトにしちゃうと大会に響くから、申し訳ないけど目をつぶって貰えないかな』
打越会長のメールには、そうあった。その下、履歴に俺のメールもある。
よかった。ちゃんと届いていた。
「お詫びって事で、タクシー代とご飯代もくれたしね♪」
それで、右川亭直行か。
右川のオゴリと信じて好い気になっていた俺はバカだ。
「結論から言うとね。あんた色々と、やらかしちゃったみたいだよ」
「やらかした?俺が?」
曰く。
沢村というヤツは、生徒会でいつも女子に囲まれて好い気になっている。
右川というロリっ子と、まるでマンガのような喧嘩を仲良くやっていた。
聞けば、別に付き合っている爽やか系の彼女までいる。
それなのに、これまた別の、ツンデレ系女子から積極的にアプローチ。
さらに、浅枝というこれまた可愛い妹系の後輩は、「沢村先輩、尊敬です」と、べタ褒め。
まるでどっかでアニメになりそうな憧れのシチュエーション。
極めつけ。
〝アイツは図書コーナーを教えてくれなかった〟
……付属に襲われた時も、何やらそんな事を言っていたけど。
「俺はちゃんと教えてやったのに」
「だーかーらー、そうじゃないんだってばよ」
右川の目が何処となく笑っている。
そのうち、「もう我慢できねーっ!」と、ゲラゲラ腹を抱えて笑い転げた。
こっちは訳が分からず、どう言う事かと尋ねると、
「アイツらの言う図書っていうのは……エロい本」
「え……」
「恥ずかしいのを我慢して勇気を出して訊いたのに、それなのに沢村というヤツは、嫌味のようにお堅い図書室なんか教えやがったー」
と、ここで俺を指さした。
「あいつ気にいらねー……1番の標的になっちゃったァ。これは痛い」
それで……確かにあの時、手招きまでして教えろなんて妙だとは思った。
そんなに深く考えなかった。悔やまれる。だが、あの曖昧な言い方で、それに気付けというのも無理があるだろう。納得いかない。
その上、桂木や浅枝は別として、吹奏楽女子やら、おまえやら。
てゆうか、笑い過ぎ!
「こんなのが羨ましいなら、俺はいつでも、ごっそり代わってやるよ」
「はい消えた。それ、絶対言っちゃ駄目なヤツ。そういう辺りが、もう嫌味なんだよ。リア充が自慢か?ってなるじゃん」
共学に対する妬み、憧れ、対抗心。他は何だ?
こっちは単に女子がいるというだけ。それもこんな乱暴で雑で適当な。
付属に行ってるだけで頭もよくて金持ちで、もうそれだけで言う事ない。
世の中に出たら、女の子の方から勝手にやってくる。選びたい放題だ。
双浜高男子からしたら、羨ましい事この上ないのに。
「思いきって、女子高とやればいいのにね。何でこっち来るかな」
学校的に、恐ろしくて女子は呼べそうにない。
男子高同士で大会……生徒の側からして、意味がない。
学校側と生徒側、お互いに半分譲って共学、となるか。
「だーかーらー、今回はぁ♪」
ケケケ♪
そこで右川はゴクンと生唾を飲み込んだ。
良からぬ事を企む目をしている。
「〝勝ち負け無視!楽しく仲良く、そして豪華賞品は頂こう!〟作戦♪」
生徒会公認・超巨大・合コン祭り♪
女子が喜ぶゾ。モテ期、到来♪
右川は得意げにブチ上げた。
「それってまさか、女子を生け贄にゲームを有利に運ぶとか」
「そうとも言う♪あっちを油断させて、モノは全部もらお~」
何が、勝ち負け無視だ。何を言い出すかと思えば。
「そんな都合良く出来るわけないだろ」
俺は異議を唱えた。
「あっちは男子ばっかり。全部の種目で、こっちが勝てるとは限らない。女子チームなんて、体力で負けるのは分かりきってるし。そんな簡単にモノだけ手に入るとは思えないよ」
「何か下さいよ♪って後輩女子に言われたら、あんたどうする?」
「え?」
「ミノリから聞いたけどぉ。いつだったか、おねだりされたでしょ。あれどうしたっけ?」
やった。
ツタヤの割引券、3枚とも全部。
右川が、ニッ♪と笑った。
「おまえ悪党だな。男の優しさ、何だと思ってんの」
右川は、ウゲへへヘ♪と下品な笑い声を立てる。
「あいつら金持ちなんだから、あんな商品の1つや2つ、欲しけりゃ買えばいいんだよ。親とかコロッと転がしてさ」
ちょっとだけ付属に同情心が沸いた。
俺と同様、付属はちょろいと見下されている。
ヤツらは、こんなのに引っ掻き回されるのだ。
しばらくは右川の語る一部始終を、黙って聞いて……大仕事だ。
チーム編成にも大きな変更が生じる。
急な変更、何とか頭を下げて頼むとしても(屈辱だけど)。
聞けば聞くほど、そのノリの軽さ、フザけた思いつき、このまま乗ってしまって本当にいいのかという困惑が渦巻く。
学校側とか先生とか、どうすんだ。正直、不安だ。
そんな俺の困惑を察したのか、
「別にいいよ。あんたなんかいなくても。ノリくん達に声掛けるから」
いつかの、真夜中の球技大会を思い出した。これは、あれと同じ展開か。
「忘れてるみたいだから言っとくけど、今日のは〝貸し〟だからね」
今回は見送るなら、また別件で返せ……とでも言いたいのか。
案の定、
「ちゃんといつか返してよ。ちゃんとちゃんとちゃんと、ね」
何を要求されるか分かったもんじゃない。
だが。
「やる」
今まで、この調子で俺は仲間外れ、結果振り回される側に甘んじてきた。
今度ばかりは怒りの矛先は付属に向く。
大きな揉め事にしたくはないが、何でもいいから1つ位はヤリ返してやりたい気分だ。
これで、右川に借りも返せるなら。
その為なら、悪魔だろうが右川だろうが手を組む!