9時を回った。
がつがつとラーメンを喰らう。ライスも大盛りで、ひたすら喰らう。
右川のおごりと聞くと、なおさら喰らう。
「ゆっくり食べたら?」と、山下さんに、ご飯おかわりを渡された。
同時にガシャン!と何かが割れる音。右川が、なんか割ったらしい。
「ごめん、大きいの割っちゃったけど。100均だからいいか♪」
ここは夜の右川亭。
会社員がちらほらと居る。少し遅い食事の時間帯だった。
タクシーの中で、右川と何も話さないまま、右川亭に直行。
俺は怒り心頭で話せる気分じゃなかったし、右川は右川で何か考えているようで、お互いに、静かに帰ってきた。
そして帰ってきて早々、右川は、いそいそと手伝っている。
「手伝いはいいから、まずそれ着換えろよ」と山下さんに言われて、右川は店を離れ、2階に上がった。ふと見ると、今まで気がつかなかったが、天井近くに色々な陶器が飾ってある。
「お茶の器だよ」と、山下さんが教えてくれた。
「茶道は、家ではやらないけど、器だけはこんなにね」
そこで、ひょいと階段あたりから右川が顔を覗かせた。
「それ、食い終わったら上に来て」とか言ってる。
残りを急いでカッ込んで、水を一気飲み。
ご馳走様もそこそこ、2階に向かった。
階段の下に、右川がいつも使うリュックがある。
いつかのように買い物でパンパン。
階段を上った先、右川亭の2階は、あっさりしたもので。
普通に部屋が2つ。仕切りで向こうの部屋は全容が見渡せないが、足元に転がるのは右川の物ばかり。服やら教科書やら、結構な荷物だ。
しかし意外と、割と片付いている。
器の本が目に留まった。山下さんのだろうな。
その隣、CDラックを眺める。
Mr.children。
山下達郎。
ICE。(知らない。これ誰?)
恐らく、全部が山下さんの趣味。右川が推すジャニ系は1枚も無かった。
部屋中を物珍しく眺めていると、右川がコーヒーを携えて上がってきた。
私服姿を、初めて見る。
何の変哲もないTシャツとGパン。
おかしな話、制服姿よりもちゃんと17歳(で、いいのか?)に見える。
本題。
今日、付属で起こった出来事を、右川に話した。
いつになく真剣に聞いてくれたように思う。
もちろん、男と××、富士山の辺りは……ここでは省略だ。
何といっても1つ部屋の中、それが右川であろうが無かろうが、下手に刺激する事も無い。(俺も忘れたい。)
そこで初めて、いつかの浅枝の話を聞いた。
付属に呼び出されていた、その理由。
「付属男子がチャラ枝さんを勝手に気に入って、お喋り祭りしちゃったに過ぎないんだけど。ま、ついでにあんたの事も探ったというか」
浅枝に何事も無くて良かったと……右川と同じ事を考えた。
「友達も一緒だったから、かもしれないけどね」と、右川はひと息つく。
その様子に、いつもの険は見えない。
右川なりに気になって、心配していたという事か。
「あたしさ、去年やったっていう学校に聞いてみたんだけど」
思わず目を見張る。
「実行委員なんて居ない。実際は赤野と書記の5人が仕切ってる。打越会長は、会計の赤野から出しゃばるなって釘差されて……つまり何もやってない」
打越会長の指示と信じて、必死で食らいついた俺の苦労は何だったんだ?と改めて怒りが湧いた。同時に、こっちだって会長は何もやってないだろ、と口から飛び出そうになったが、ここで喧嘩はマズいから今は言わないでおく。
「見学と称して毎日毎日やって来て、ナンパしまくり。マラソンも、付属は女子に群がってヘラヘラしてるだけ。そんなこんなでもう付属とは2度とやりたくないっていう男子と、付属と仲良くなれた女子は、また会おうねーみたいな」
それでか。
だから、どうしても何が何でも、女子も10キロ参加なのだ。
ふと、気になる事が頭をかすめた。
「あいつら俺を見て〝45が来てる〟って言ったけど45って何かな」
「あんたの、見た目年齢」
「殺すぞ、ほんと」
救い出された安堵も手伝って、こっちは少々言葉が雑になる。
ま、それはいいとして♪と、右川は陽気に誤魔化した
「今となっては、真木くんに行かせなくてよかったよーほんと♪」
喧嘩を避けて強引に話を切り替えた……だが実際それはある、と思った。
いつだったか睨まれていると感じた真木だった。
恐らくその通りだったんだろう。
いつもの気安さで、右川が俺じゃなく真木に頼んで行かせたら……。
一緒に行こうと声を掛けられたのが真木ではなくて、俺でよかったと胸を撫で下ろす。真木なら立ち直れない気がする。自分1人で済めばその方がいい。
「沢村には、悪かったかもね」
右川が謝った。
右川が謝った。
右川が……軽く驚きを感じていると、
「てゆうか、ミノリに悪かったよね」
照れ隠しか、ニャハハハ!と豪快に笑った。相変わらず、女子には思いやりを見せる。テレ臭いも手伝って、こっちも口先で笑って見せた。
「去年やったって、どこ?」
「陽成学院。あたし中学ん時の友達が結構いるからさ」
陽成か。
「全然、話変わるけど、おまえどうして陽成行かなかったの」
右川は、ぽかんとした。
「どうしてって……ズバリここと受験日同じだったから」
「何でそっち受けなかったの。中学のヤツ、みんなそっちだろ」
「それは……」
そこへ、下から山下さんが上がってきた。
フルーツの差し入れを、「いつもカズミが世話になって。悪いね」と渡されて、恐縮しつつ、それを受け取る。
瞬間、右川の態度がコロッと変わった。
「ねーねー、今さぁすんごい作戦浮かんじゃったのっ。聞いて聞いて♪」
最近テレビでも滅多に聞けない、ネコ撫で声だ。
右川は鮮やかな笑顔を振りまいて、山下さんの腕にまとわりついた。
「いいよ。俺は。片付けとかあるから」
「だーかーらー、それは後で手伝うからぁ」
「そんな事しないでいいって。早く寝ろ。遅刻したら、俺がおばさんに怒られちゃうだろ」
「平気だよ♪ねえねえー聞いてーダメ出ししてよぉー♪」
そのまま、山下さんと一緒に、右川は階段を降りた。
下から、声だけが聞こえる。
……放ったらかして。彼氏に悪いだろ。
……あんなの彼氏じゃないって。あいつはもう彼女がいるからね。
右川が戻って来るまでの10分間、俺は文字通り、そっちのけ。
忘れられている。
陽成学院に行かなかった。受験すらしなかった。
その理由は聞かなくても分かった。
こないだの立ち聞きを思っても、一目両然。
友達関係を蹴り、山下さんを追いかけて、ここまで来たのだ。
やっぱりという感じ。
右川は、本気であの山下さんが好きだ。
今も、ただの従兄弟以上に想っている。
それで毎日、「じゃ、帰るね♪」とばかりに、右川亭に飛んで帰る。
昔から、帰りたい帰りたい♪といつも何度も言った。
学校を辞めたがる事にも頷ける。本気で言ってるのかもしれない。
大量の買い物を引き受けて、夜遅くまで店を手伝うから、だから朝は遅刻スレスレ。それで授業中は寝る。
山下さんの趣味に合わせて茶道部に入部。
面倒な生徒会を最後まで嫌がった。
「最高の笑顔、か」
ドミノのようにぱたぱたと事実が倒れて、改めて、すべてが明白になる。
陽成を蹴って2時間かけても双浜高に来る訳だ。
こうして店を手伝いながら、帰りが遅くなる~と称して泊り込んで……こういう時、思うのだ。そこまでされた時、山下さんの、男の側ってどうなんだろう。その思いの強さが嬉しいと、単純に思えるだろうか。
壁に、大学の卒業証書が飾ってある。
〝広島大学 教育学部 山下フミアキ〟
隣には、教師の資格証書。
先日配られた数学の宿題プリントが丁寧に折り畳まれている。
開くと、いつか見た時と同じように、緻密に書き込まれた数式とグラフがあった。それとは別に、応用問題がレポート用紙にびっしりと。
「数学97点の正体か」
そこへ、先刻とは違う勢い、右川が1人どんよりと階段を上がってきた。