「分かった。こうしよう、樹くん。昨日の契約内容に不満があるのなら、君の会社が不利にならないように条件を変更してもいい。だから、そのボイスレコーダーは一旦しまってくれ! 頼む!樹くん」

早乙女社長が必死に訴えかけてきた。

「あいにく昨日の契約なら、書類不備で成立してませんよ。昨日私が押した印鑑は実印ではありませんし、サインも父のものではありませんからね」

「な……なんだと!」

「この縁談とおたくの傘下に入るという話は無かったことにして下さい。だって、裏でこんな恐ろしいことを企むような方を信用できるはずがありませんから」

俺は持っていたボイスレコーダーをマイクに向けて、再生ボタンを押した。

会場内が静まり返る中、財前副頭取の声が響き渡った。

【ここだけの話ですがね、早乙女社長。近々『宮内製薬』が『ハピネス社』を買収することになりましてね。なあ、木下くん】

【は、はい】

【そうか。まあ、『宮内製薬』も『サクラール』のおかげでずいぶん勢いづいているからな。ついにアメリカにも進出か】

【ええ。ですが……勢いもここまでですよ】

【ん? それはどういう意味だね?】

【実は、『ハピネス社』の『ピネス』という薬から発ガン成分が検出されたんですよ。この件はまだ社内のごく一部の人間しか知りませんが、近いうちにアメリカで大きな訴訟問題へと発展するでしょう】

【なあ、財前くん。『宮内製薬』はなぜそんな状況の『ハピネス社』を買収しようとしているんだ?】

【それは、『宮内製薬』にはこの件をいっさい伏せてあるからですよ。なあ、木下くん』

【は、はい】

【『ピネス』の件は買収後に発覚したことにして、その尻ぬぐいをさせるんです。トドメにうちが融資を断れば『宮内製薬』は一気に火の車。とても『サクラール』の開発どころではなくなるでしょうな。その弱みにつけ込めば『宮内製薬』はどんな不利な条件だって呑むと思いませんか?】

【なるほど。つまり『宮内製薬』と『サクラール』を破格の値で手に入れられるチャンスということかな】

【ええ、そういうことです。どうですか? この儲け話に乗らない手はないと思いますよ】

【もちろん乗らせてもらうよ。ちょうどうちの娘も、あそこの副社長を気に入ってるようだからね。二人の縁談の方も上手く取りはからってもらえるとありがたい。礼ならたっぷり弾むよ】

俺はそこでボイスレコーダーをOFFにした。

会場内がざわつき出す。
さすがに言い逃れできないと観念したのか、財前副頭取と早乙女社長の二人はステージの隅で小さく項垂れていた。

「お二人はどういう罪になるんでしょうね。地検も動き出したそうですけど。うちも、きっちりと賠償請求をさせて頂きますので、どうぞ覚悟しておいて下さい」

厳しい口調で彼らに告げると、会場からパチパチと拍手が起こった。

「良くやった!」
「宮内製薬を支持するぞ!」
「頑張れよ!」

そんなかけ声が上がる。

「大変お騒がせ致しました。皆様には後日改めまして謝罪の場を設けさせて頂きますので、今日のところはどうかお許し下さい」

俺は深くお辞儀をしてステージを降りた。

会場を出る直前、菜子と目が合った。
今にも泣き出しそうな顔。
俺が微笑みかけると、彼女は指で目もとを拭いながらにっこりと笑い返してきた。

こうして、俺の戦いが終わった。