8時ジャスト。
車は会社の駐車場に滑り込むように到着した。
ギリギリだけど、これで樹さんも朝の重役会議には間に合うだろう。

ホッとしながら車を降りたその時だった。

「これはこれは。お二人で仲良くご出勤ですか?」

銀縁の眼鏡を光らせて、中谷さんが向かいからゆっくりと歩いてきた。

樹さんはチッと舌打ちして、運転席のドアを勢いよく閉めた。

「いえ! 違います! 私たちは別に」

「いいよ。菜子は黙ってて」

樹さんが私を制すと、中谷さんの顔つきが険しくなつた。

「ふーん。名前で呼んでるのか。ずいぶんと親密そうだな」

「別に。綾野じゃ紛らわしいから敢えて名前で呼んでるだけだよ」

「誤魔化すなよ。おまえ、昨日から彼女と一緒だったんだろ? ワイシャツもネクタイも昨日のままだもんな? まったく。こんなことが彩乃さんの耳にでも入ったらどうするんだよ」

中谷さんは樹さんの腕を掴み、いさめるように言う

彼が怒るのも当然だ。
私が軽率だったのだ
婚約者のいる樹さんを家に誘うべきではなかった。

「まあ、確かに昨夜は彼女と一緒だったけど、おまえが心配するようなことは何もないよ。つまらないことでイチイチ騒ぐな」

樹さんはため息をつきながら、中谷さんの手を剥がした。

「じゃあ、彼女とは疾しい関係じゃないんだな?」

「あたりまえだろ」

「そうか。分かったよ。おまえを信じるよ」

中谷さんはそう口にしたあと、今度は私へと視線を向けた。

「綾野さん。あなたも今後は誤解を招くような行動は控えて下さい。くれぐれも宜しくお願いします」

私にそう告げると、中谷さんは足早に去って行った。

ズキンと心が痛む。
自分が置かれた立場を改めて思い知らされた。

早く樹さんへの気持ちを、私の中から追い出さなければ。

「ごめんな。嫌な思いさせたな」

樹さんの手が優しく頭に触れて、思わず涙がこぼれそうになった。