泉の上に広がる空には、うっすらと雲が広がっていた。

まだ、ブラッディムーンは顔を出していない。

かなたは湖畔におかれた、木製のベンチの上にお盆にのせた杯を置いた。

「これから人形になるはるかと空月は、たとえ今これを飲んでも、朝になってブラッディムーンが消える時までは、人間に戻っているかどうかを知ることはできないでしょう」

かなたはかなたなりの懸念を述べた。

「もしかしたら、最悪、書籍に嘘が書かれていた場合には4人とも死に至るかもしれない」

はるかと空月はじっとかなたを見つめた。

「それに、ヒロトは私とは出会って間もない。信用に足るかどうかは測りかねると思うよ」

しかし、かなたは笑顔を絶やさずに、腰に携えている緋刀に触りながら言葉を続けた。

「,,,でもね、父から引き継いだこの緋刀が、この伝説は真実だと私に伝えてくるの,,,。最後はそれぞれの意志でこれを飲むか飲まないかを決めるしかないのだけれど、どうか私を信じてほしい」

かなたは瞳に涙を浮かべながら頭を下げた。

突然、雲間から明るい光が辺りを照らし始めた。

真っ赤な月が全貌を晒した瞬間、はるかと空月は人形に、かなたとヒロトは狼に姿を変えていた,,,。

狼に変わったかなたは白い毛に緋色の目をした美しい姿をしていた。

同じく狼に変わってしまったヒロトは、黒い毛並みに碧眼のりりしい姿。

かなたははるかと空月、ヒロトをじっと見つめている。

長い沈黙が辺りに広がる,,,。


そんな中、最初に動いたのははるかであった。

はるかは杯を一つとると、ためらわずにぐいっと飲み干した。

「かなたが村の禁忌をおかして準備したものだもの。私はかなたを信じるわ」

美しい微笑みを浮かべながら、はるかは狼になったかなたを抱き締めた。

空月も続けて杯の中の樹液を飲み干す。

「俺もかなたを信じてる」

空月が僅かに口角をあげた。

"あとはヒロトだけ,,,"

人形に戻っている二人に今のところ変化はない。

狼になったかなたとヒロトの場合は、人形に戻るという明らかな変化が起こるはずだが、どのくらいの時間で効果を発揮するのかは、かなたにもわからぬままだ。

書籍には何も書かれていなかったから。

ただ、ヒロトは迷っていた。

このまま人狼として過ごすことになることには覚悟を決めたはずだった。

しかし、かなたの見つけたこの伝説が本当だった場合、樹液を飲み干したはるかは人間として生きていくことになるはずた。

そうなった場合、人狼のヒロトと人間のはるかが今世で結ばれることはないだろう,,,。

ヒロトの瞳に迷いを見つけたかなたは、ゆっくりと残る杯の一つに近づき、すべてを舐め尽くした。

その後しばらく待ったが、かなたは狼の姿のままで何事も起こってはいないようだった。

ヒロトは意を結して、杯に近づくと、かなたと同じように樹液を舐め尽くす。

"どうせ未来が決まっているのなら、ここでみんなと運命を共にしよう"

ヒロトはかなたを信じて、はるかと生きる道を選んだのだ。

その直後、ヒロトの体に言い知れぬ変化が起こっているのが感じられた。

狼に姿を変えていたヒロトがブラッディムーンが現れる前の姿に戻っていく,,,。

驚くはるかと空月はヒロトので様子に目が釘付けになっていた。

"く、苦しい"

傍らで、狼の姿ままのかなたは、ゆっくりと身を翻すと住み慣れた家の方向に向かって駆け出した。