「いらっしゃい…ごめんね、いつも」

「…ううん」

今日も青白い顔で迎えられ、彼がまだ佳境である事を知る。
そんな状態で聞いてもいいのだろうかと思いながら、私は恐る恐る口にした。

「メッセージ、見た?」

「あ、ごめん。集中してて見てなくて」

「空くんってさ…小説家なの?」

前を歩いていた彼の動きがぴたりと止まる。
そしてこちらに振り返った。

「あれ?言ってなかったっけ」

特に隠していたという訳ではない雰囲気に、少し安心する。私は話を続けた。

「うん、知らなかった。
びっくりしたよ。偶然立ち寄った本屋さんに空くんの名前があったから」

「ごめん、すごくサポートしてくれてたからてっきり知っていたのだと思って」

いつもの様ににこやかに笑う彼。私はその流れのまま思い切って聞くことにした。

「それでね、気になってあなたの事を調べてみたの」

彼の顔がスッと変わり、私を見る。
あ、やっぱり、これは聞いてはいけない事だったのかもしれない。

「少し…休んでたんだね。執筆活動」

「あ…そこまで知ったのか。
うん。あまり上手くいかなくなってね。
ここ2年間は、書いては止めて書いては止めての繰り返しで、一度離れていたんだ」

「ねえ…また書く気になれたのは私と出会ったから?」

彼がハッとした表情を浮かべる。
私は確信してしまった。そうなるともう止まらない。

「…最初私に付き合おうって言ってくれたのも、作品創りのネタになりそうだったから?」

「それは…」

まるで図星をつかれた子どもの様な顔をした彼に、私の頭に一気に血が昇る。

「…何その反応。
どうりでおかしいと思った。
じゃあ今書いているものも、私達の事を赤裸々に書いてるの?私の許可なく勝手に?」

「それは違う!でも…君と出会った事でたくさんの構想が浮かんだのは本当だ。ヒロインも、君の性格に寄せている。
…指摘されて、今気付いた。
確かに、君と関わったら面白い何かが起きそうだと思った。それで俺はあんな突飛な事を言ってしまったのではないかと」

「…ひどい」

耐え切れなくて瞳から涙が溢れた。
両手で顔を覆う。

「本当にすまない。でも信じて欲しい。本当に君が可愛くて声をかけたし、どんどん惹かれてもっと好きになった。
大事にしたかったから君が望む友達という関係にも徹した。
今だって君を愛してる!利用しようだなんてこれっぽちも思ってない!」

彼の私と離れたくないという気持ちが、湧き上がる水の様に伝わった。

それが彼の本当の気持ちなのだろう。
嘘をついていない事も分かっている。けれど。

「あなたが本当に私の事を愛してくれているのは分かってる。
でも、少し時間が欲しい。今はちょっとパニックになってて」

「雪ちゃん!」

そう言って踵を返した私の腕を彼が慌てた様に掴む。私はそれを思わず振り払った。

「…とにかく時間が欲しいの。
あなたの大事な時に、こんな事になってしまってごめんなさい」

そしてそのまま振り返らずに、彼のマンションを後にした。