「あっち、赤ちゃんウサギいるんだぜ、見に行こうぜ」
拓先輩は本当にその動物園に何度も来ている様で、地図なんて見なくても全ての動物がどこにいるか把握していた。その上、動物の説明とかも出来ちゃうから、将来は飼育員になれるんじゃないかと思った。

「動物好きなんだね」
「そうだな。特に哺乳類は好きかも。……美弥ちゃんとか」
「その冗談、ぜんぜん面白くない」
私は棒読みで突っ込んだ。拓先輩は何かと言うと私を好きとか言ってからかう。
最近はもうだいぶ慣れてきて、どうせ冗談だと気にしないことにしている。

「全然心に響いてねぇなぁ。二人で、デート!してんのに」
デートっと強調され、私はドキっとしてしまった。そうだよね。これじゃあ、どう見てもただのデートだよ。どうせなら、丸山くんと来たかったなぁ。っと、しみじみ思った。

「理人と、ちゃんと付き合いだしたの?」
あっという間に一日が終わろうとしていた。
日が暮れそうになる頃、フラミンゴの池の前で拓先輩が私に問いかけてきた。

拓先輩を見ると、いつもみたいな冗談な顔つきではなくなっていた。
真面目な話なら、拓先輩には嘘ついても仕方ないと思った。

「言葉としては何も……」

ピンク色のフラミンゴが丸山くんのようで、とても可愛く思えた。
拓先輩が私の真横まで近づいてきた。
「美弥ちゃんは、そのままで、つらくないの?」

私は優しくフラミンゴに話しかけるように言った。
「丸山くんのそばに居られたら、それでいい……かな」
「それで……美弥ちゃんは本当に幸せ?美弥ちゃんは……理人が本当は無理して一緒に居てくれてるかもって考えたことない?」
「え……?」
拓先輩に突然そんなことを言われビックリした。
そんなこと今まで一度も考えたことなんかなかった。
丸山くんも私と一緒にいたいって、思ってくれてると自惚れていたから。

「理人は優しいから、美弥ちゃんじゃなくても、甘えてくる子は誰でも拒まないと思うよ……」
「な!なんでそんなことを言うの?」
さっきまで優しかったはず拓先輩が、急に意地悪に思えた。
なんだかんだ冗談言って私をからかったりするけど、拓先輩は結局は私を応援してくれてるのだとずっと思っていた。

「美弥ちゃん、俺のこと勘違いしてるだろ?……俺、誰にでも優しい訳じゃないよ」
そう呟いた拓先輩は、冗談のかけらもなく真剣そのものだった。
「からかうのも、美弥ちゃんだけだ。俺……本気で美弥ちゃんのこと、好きだよ……」
私は、急に真面目になった拓先輩が少し怖くて、
「また、冗談ばっかり……」
っと、笑い飛ばそうとしたら、拓先輩に抱き寄せられていた。

「本気だ。信じてくれよ」
拓先輩が、私を抱きしめる腕が強くて少し怖かった。

「……拓先輩、いろんな子に優しいじゃない」
私はその腕の中から離れたくて、拓先輩の胸を両手で押したがビクともしない。

「俺は一人に決めたら、一途だよ。……なあ……今日、俺と一緒に居て少しも楽しくなかった?」
私は答えることが出来なかった。楽しくなかったと言ったら嘘になるから。

「俺ならちゃんと美弥ちゃんのこと、恋人にしてあげられるよ。こんな中途半端なまま、放って置いたりしない」
「……拓先輩……」
拓先輩が私のことを好きになってくれた気持ちは、すごく嬉しかった。
でも、こんななんも取り得のなかった私が、誰かに好かれるような人間になれたのだとしたら、それはたぶん、丸山くんに出会えたおかげだ。彼に出会えなかったら、今の私は居ない。

誰かを好きになる気持ち。
二人で過ごす楽しさ。
甘えたり甘えられたりする喜び。
どんな時も心の中に居て、会いたくて、たまらなくなる切ない気持ちとか。
……全て、丸山くんが教えてくれた……。

「ごめん……。私は、丸山くんが好きなの。丸山くんじゃなきゃだめなんだ」
私は拓先輩にキッパリと答えた。きちんと伝えることが拓先輩への誠意だと思ったから。

「そっか。みんなアイツがいいんだな」
拓先輩が独り言のように呟いた。

「……キッパリ断ってくれてサンキュ。俺……きっと、美弥ちゃんのそういうところに惹かれたんだろうな」
拓先輩の手が緩んだので、私が離れようとしたその時、

「金井!!」
どこからか私の名前を呼ぶ、丸山くんの声が聞こえた。

「丸山くん?なんで?」
私は辺りを見回す。風邪引いているはずなのに、こんなところに居るはずがない。でも、間違えたりしない!あの声は確かに丸山くんだ!


「金井!!」
遠くの方から、丸山くんがこっちに向かって走って来るのが見えた。

さっきまで緩んでいた拓先輩の腕にもう一度、力が入った。力が強すぎて離れられない。
「拓先輩?!どうしたの?離してっ!!」
「ダメだ。アイツが好きなら、もう少しこのままで」
拓先輩は小さい声で私に言った。私には拓先輩の言葉の意味がわからなかった。


「拓、嘘までついて金井を引っ張り回して何してるんだよ?金井から離れろ!!」
嘘?風邪っていうの拓先輩の嘘だったの?
「美弥ちゃんのこと何とも思ってない理人には関係ないだろ?」

まただ。
この前のことといい、拓先輩はわざと丸山くんを怒らせている。

「……もしかして、金井、お前も……拓のことが好きになったのか?」
丸山くんが諦めたような顔をして私を見つめる。
お前もってどういう意味だろう。

「私はっ!」
私の言葉を遮るように、拓先輩が叫んだ。
「だったらどうだっていうんだ?!」
拓先輩にキスされるかと思ったが、丸山くんには見えない角度で、私にキスをする振りをしただけだった。

「拓!!おまえっ!!」
丸山くんは拓先輩の胸元に掴むと、殴りかかろうとした。

「それが理人の本音だよな?!好きなんだろ?」
どうやら、拓先輩は丸山くんに私のことを好きだと言わせたいようだ。でも、丸山くんは何も答えない。

「認めろよ……松井先輩の時はずっと見て見ぬ振りしてきたのに、美弥ちゃんではそれが出来ない……美弥ちゃんのこと、本気で好きだからだろ?」

松井先輩というのは、前に丸山くんと付き合っていた亡くなった先輩のことだろうか。
丸山くんが酷く驚いた表情をしていた。

「拓……おまえ!俺が見てたこと、気付いていたのか?!」
「ああ。気付いていたというより、あれは松井先輩の作戦だったからな。 先輩はお前の見てる前でだけ、わざと俺と仲良くしてみせてたんだ。俺はただそれに黙って付き合ってやった」

拓先輩は丸山くんに胸ぐらを掴まれていた手を振り払った。

「先輩はずっと悩んでたよ。理人は自分のこと好きじゃないけど、優しいから付き合ってくれてるんだって……別れようって言えないだけだって」
さっき、拓先輩が話してたことは、松井先輩が理人に感じていたことだったんだ。

拓先輩は体を小刻みに震わせていた。少し泣いているようにも見えた。
「松井先輩は俺から奪い取ってほしかったんだよ!!……なのに、理人はっ!!」

「拓、……何言ってるんだよ。松井先輩は、拓のことが好きだったよ。そりゃ最初は俺の気を惹く作戦だったのかもしれないけど、相談するうちに拓の優しい所を好きになったんだろうな。俺はそれに気づいたから……あの日、先輩に……」
丸山くんはそこで一旦言葉を止めると、拓先輩の方をまっすぐに見た。
「拓のこと好きなんだろ?俺のことは気にせず、そっち行けよって……素直になれ。そう言った」
「松井先輩が俺のこと好き!?そんな訳ねぇーよ!!!じゃあなんで自殺なんて!?」
拓先輩の顔が真っ青だった。
「自殺なんてただの噂だろ?あれは不運な事故だよ。だってあの日、松井先輩、拓にメールするって言ってたから。会ってちゃんと話して告白するって」
拓先輩はその場に膝から崩れ落ちた。
「確かにその日、先輩からのメールがあったよ。『会いたい』って。でも俺すぐに気づかなくて、だから、一人で思い悩んで、自殺したんだと思ってた」
「それは絶対に違うよ。先輩はちゃんと拓との未来を見ていたから。拓、おまえ両思いだったんだよ」
丸山くんはしゃがみ込むと、拓先輩の肩に手を置いた。そして立ち上がると、私の方へ歩み寄った。
「ごめん、金井」

「俺、金井に後悔しないように素直になれとか、偉そうなこと言っておいて、自分のことになると全然ダメだった」
丸山くんは私を正面からまっすぐに見つめた。
「自分に自信なくて、俺みたいな奴のどこがいいのか、まったくわからなくて。金井に好きって言われても、松井先輩の時みたいに、どうせまたすぐ他の奴、好きになるって、どこかで思ってた。でも、不安に思う前に、大事なこと出来てなかった。金井に自分の気持ちをきちんと伝えること。……金井を失うかもしれないって思って、ようやく気付いたよ」

丸山くんが私をそっと抱き寄せた。
「待たせてごめん」

初めて会った時のように、丸山くんが私の左頬に触れた。

「俺……金井が……美弥が、好きだ」
私の目からはいくつも、いくつも、涙が流れ落ちていた。
その涙を丸山くんが指で拭ってくれる。

キスがしたい。そう私が思った時にはもう、重なっていた。

優しく柔らかい丸山くんの唇が……。

その唇からは、
もうあの時のようなタバコの味はしてこなかった。