雫が万有引力の法則に正しく乗っ取り、規則的、かつ無慈悲に落ち時を刻む港区の薄汚い廃倉庫。ニュートンより早く生まれていたら私が歴史的な発見をしてたのかもと思ってみる。時刻は深夜2時を過ぎた頃だろうか…表の巨大なシャッターのせいか、酷く小さく見える裏口のドアからいつもの符丁でノックが鳴る。

私は立ち上がり無言で鍵を開けると、目を見開いた。だかいつもの皮肉癖は直らない。

「……遅かったわね。寄り道でもしてたの?」

いつもは万札をひらつかせ鼻歌を奏でながら入るはずだが、目の前に片脚立ちから崩れ落ちる彼はいつもと違っていた。彼のシャツは春の暖かな夜の月明かり、それを取り除いて贔屓してもどす黒い。

橘は焦点が定まらないのだろうか、私の背景を見つめながら「…この格好でタクシーでも拾えば良かったか?」と毒づき返した。シャツを脱いだ彼を、慣れた手順で無機質な簡易シングルベットに寝かせる。

LEDペンシルライトは彼の身体を舐めるように照らして行く。首の傷は見た目より深い。一々ひくつく彼を無視し、手早く消毒、圧迫して止血する。恐らく頸動脈を少し傷付けられたのだろう。

彼が違和感を訴える足首は、健は切られてはいないものの腫れから診て靭帯に損傷がある。

「…2週間は学校は無理ね。貴方が"外して"この有様って事は、相手はかなり腕利きの元軍人か傭兵、もしくは多少なり、いや、それなりの医学の知識、人体に詳しい人ね。違う?」

「さぁな…対戦者の情報はお互い知り得ることは出来ない。…体つきは普通の少年だった…年は、俺らとそう変わらないんじゃないか……組み合った時に分かったが肘から先の左腕は義手で、全身の筋力は明らかに異常だった。だからすぐ"外した"し、そうしなきゃ殺されてた…奴は冷静にオペを施すベテラン外科医の様だった。そうだな、構えは中国拳法とお前の十八番の合気道の中間。スウェイやパリィ、捌き、投げ抜けも完璧。……押せば引くし、引けば押される。まぁ、お前よりは強いのは確かだよ。」

「殺したの?」

彼は首をすくめて見せたが、"外した彼"が、そこまでの賞賛するのを聞くと、嫉妬に似た感覚と共に、一度手合わせしてみたかったとも思った。

「まぁ勝負に負けたが試合に勝ったってやつさ。」

負けん気の強い幼子の様な稚拙な言い草だったが、彼はの目は未だに虚ろで、まだ戦いの最中を反芻しているに違いなかった。そして彼は目瞑り、眠る間際にこう言った。

「あいつ…顔が……顔が、俺だったんだ…」

「……」