ワークショップが無事に始まったのを見届けてから出た、東栄デパート。


当初の目的のデザイン事務所を目指すべく歩き出した通りは、すっかり地面も乾いて上から射す太陽の光が眩しく思えた。


…一時間遅れか。


デパート内のパン屋さんで買った、沢山の焼きたてパンを入れた袋を顔の前まで持ち上げるとカサリと言う音と一緒に食欲をそそる良い匂い。


事情を話す為に入れた一度目の連絡では『んにゃ、平気。あ、でも、俺パンが食べたい!』と、二度目の連絡では『腹減った~』とだけ言った、所長の佐々木さん。

大人気のデザイナーさんで小さい事務所の所長ではあるけれど、自らたくさんの仕事を手がけていて、だけどいつでも多らかで。
あの包み込む雰囲気にいままで仕事面でも精神面でも沢山助けられて来た。

…まあ、それは、私だけじゃない気がするけど。
だからこそ、仕事も殺到するし、事務所のメンバーも3年前位に雪ちゃんが途中から入った以外は、開所当時から全く変わらないんだろうな。

佐々木さんの柔らかい笑顔を思い出して見上げた空に、爽やかな初夏の風を重ねる。

デザイン事務所の入り口のベルを指で押す瞬間、また袋がカサリと鳴って、パンの良い匂いが鼻をくすぐった。

「あ、こんにちは、真理さん…って凄い荷物!というか、凄い良い匂い!」

ドアが開かれると、雪ちゃんの満面の笑みがまず迎えてくれる。
「これ、お土産です」と差し出した袋をよだれを垂らしそうな顔をしながら受け取った。

「あ!塩パンだ!美味しいですよね、ここの。
これが発売される時、佐々木さんがポスターデザインしたでしょ?それで美味しさ倍増で…」

「雪うるへー…。つか、お前のほっぺたパンと間違えて食っちまいそうだ。」

興奮気味に喋り出した雪ちゃんの後ろから佐々木さんが登場した。

そのほっぺたをツンツンしながら、「だ、だいぶ痩せました!」と真っ赤になる顔にこれでもかと言う位、目尻に皺を寄せて笑う。

…相変わらずですね、佐々木さん。

「真理ちゃん、いらっしゃい。ずっと待ってた。」
「遅刻してしまいまして、すみません。」
「そっちの『待ってた』じゃねーんだけど…。」

少し口を尖らせる表情が可愛くて、私も自然と笑顔になる。
相変わらず癒されるな…佐々木さんには。








部屋の手前にある応接スペースに通されて、座り心地の良いスワンソファに腰を下ろして事務の坪井さんが出してくれたコーヒーを一口飲む。香り高い湯気と深みとコクのあるその味に、気持ちがまた一段と穏やかになった。


「…んで?やっぱりコンペの依頼?」
「はい。お察しの通りです。」


自らは、私と対面に置かれているエッグチェアの中に収まる様にあぐらをかいてちょこんと座る佐々木さん。「んー…」と腕組みをして少し空を仰いだ。


「今…お忙しいですか?」

「んにゃ、まあ…10件位掛け持ちしてるだけだから…も一個位なら行けなくもない。」

「じゅ、10件?!」

「ああ、ごめん、俺3日前から風呂入ってねーから、クサいかも。」

「ちゃ、ちゃんと寝てるんですか?」

「んー…ぼちぼち。」


曖昧な返事をしながら柔らかく笑う佐々木さんと私の間のローテーブルにコトンとパンを盛った篭が置かれた。

「真理ちゃん、気にしなくていいのよ。佐々木さんはね、仕事量とか関係なく変な寝方だから。
力尽きた時にちょこちょこ床とかソファとかで寝てるから睡眠はばっちりでしょ。」


坪井さん…それ、麻痺してますって。


「この前なんて、出勤して来たら玄関先で力つきててねー。
マットと間違えて踏んだわ。」

「坪井さん重たかった。」

「んまっ!失礼ね!」


楽しそうに笑いながら、篭からメロンパンを一つ取り上げる坪井さん。


「あっ!それ、俺の大事な…」
「女性を重いとか言うからですよ。」


カラカラと楽しそうに去って行く姿に、私は含み笑いして、佐々木さんはバツが悪そうに口を尖らせた。


「あ~もう。」
「坪井さんには勝てないですね。」
「今日の所は真理ちゃんに免じて許してあげてるだけ。」


「本当は俺、恐いよ?」と誰も信じないであろう嘘を苦し紛れに付いてコーヒーを飲みほす。


「んで?コンペ真理ちゃんはどんな企画なの?」

佐々木さんの言葉に、ああ、やっぱりと心の中で苦笑いした。


「あの…やはり、他にもコンペ関係でうちから依頼が来ていますか?」
「うん。2件かな。同じ会社だけど、言わん方がいいか。コンペだし。」

予想はしていた。
佐々木さんのデザインは企画によっては相当な戦力になるから。