繰り返されるキスを受け入れてどの位経ったのかは分からないけれど、渋谷が唇を離して代わりにおでこ同士をつけた。


「ねえ、離れんのやめない?」
「…。」
「素直!」
「ち、違うってば!息切れで返事が出来ないだけ…」
「はいはい。」


もう一度耳たぶに唇が触れて、身体が離れた。


「遅刻しないうちに行こうか」と私の手を引いて歩き出す渋谷に、どうしたものかと戸惑う。


…田所さんとは何も無かったのかな?

いや、そこを私が考えるのは下世話?

だってこの人にとって”嫌われ者”な私が一緒に居ない方がいいのは明確で。
離れた先で渋谷が田所さんとどうなっても、私は見守るしかない立場…。


揺れる気持ちに不安と寂しさが混在して、大通りに出た所で手を離した。

ちゃんと自分の気持ちと考えを話してみようかな。
渋谷になら素直に言える気がする…


「木元さん!」


振り向いた渋谷に口を開いた途端、少し離れた所で高めの声が私を呼んだ。


「た、田所さん…?!」


どうしてここに…

目の前に走り寄って来た田所さんは涙を目一杯その目にためている。


「お話があります!お時間を頂けませんか?!」


何故か渋谷が「ちっ」と舌打ちをして私を背中に隠す様に田所さんの前に立った。


「ねえ、非常識だってわかる?自分がしてる事。」

「分かってます!だけど…渋谷さんに私が反省していると分かって欲しいんです。」


反省…?それを渋谷に分かって欲しいって…な、何の事?

事態について行けずに一人首を傾げる私の前で、渋谷が珍しく溜め息まじりの冷めた声を出す。


「だからさ。そう言う考えの方の時点で俺的にはクソムカつくんだけど。何で『俺』にわかって欲しいんだよ。」


ク、クライアントに対して…『クソムカツク』?!

渋谷?一体どうしたの?!


「だ、だって…ではどうしたら」
「だからさ…「ちょっと待って!」


二人が更に言い争いを始めた所に今度は私が割って入った。


「今から田所さんはお時間を取れるんですか?」
「は、はい。」

丁度、私も今日は朝すぐなら時間が取れる。

だけど、渋谷は午前中が外回りだよね…。
田所さんが渋谷に理解を望んでいる以上、渋谷も居た方がいいわけで。

どうしようかと考えだしたら不意にまた渋谷に手を握られて引っ張られた。


「行こ、真理さん。あんなの相手にしなくていいから」


本当に何があったのだろう。こんなに怒っているなんて。
いつもの冷静な渋谷とは真逆…感情に流されて田所さんがクライアントであると言うことを忘れている。

一度息を吐き出してお腹に力を入れると、手を振り払った。


「いい加減にしなさい!」


黒縁眼鏡の奥で、渋谷の目が見開く。


「渋谷…昨日二人に何があったかは知らないけどね?
今は仲違いなんかしてる場合じゃない状況だと思わない?
一つのイベントの為に今はお互い歩み寄って頑張らなきゃいけない時だと思うの。
田所さんがこうしてわざわざ謝りに出向いてるのにそんな風に無下にするのはやめよう?」


ゆっくりと渋谷に言い聞かせる様に話した後、今度は田所さんの方に向き直し頭を少し深く下げた。


「渋谷が失礼な態度を取りまして申し訳ございません。
とにかく、我が社はすぐそこですので、一緒に参りましょう。よろしいですか?」


顔を上げた瞬間に垣間見えた田所さんの顔。
黒髪の隙間から見えた潤った唇が、キュッと噛み締められた。

隣で渋谷が「あ~…もう。」と深く溜め息をつく。


「真理さん、俺ちょっと一足先に会社に行くわ。外回りの調整してみるから。」


どうしても外せない打ち合わせではなかったはずだから、調整出来る可能性はある…か。

小走りで去って行く渋谷の背中を見守って、再び「行きましょう」と声をかけたら
複雑そうな表情で私を見つめる田所さん。


「田所さん?」
「…すみません。行きます」


ピンヒールをカツン…とならして歩き出すその姿は凛としていて、漠然と違和感を抱いた。

渋谷が立ち去った後からは堂々としている気がする…話が出来ると安心をしたから?


それから先、下を向く事なく前を向いて歩く田所さんに言葉をかけられず、互いに無言で会社に入った。


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