翡翠が返事をしたのは、藍子が言葉を紡げる状態ではないから。


目に涙を浮かべ、言葉にならない小さな声を発する藍子には、多分姉の声は聞こえていない。


翡翠は左手で藍子の頬に触れ、「藍子」と呼んだ。


その声には、迫りくる極みからの苦しさが混じっている。


最後の追い上げに掛かろうと、藍子の頬から手を離し、床にしっかりと両手を突いた翡翠は――。


「ちょっとお兄ちゃん! 藍子、今日登校日でいつもより行く時間早いんだけど!!」

「何だと!?」

続けて聞こえてきた心実の叫びに、不発のまま慌てて藍子から離れる事を余儀なくされた。


夏休み中にある、藍子の登校日の朝の出来事である。


結局藍子は心実のお陰で、遅刻をギリギリ免れた。