イブと名乗った少女はそれだけ告げると、何も言えずに立ち尽くしている真冬を放って氷解に向き直り……カンバスに再び絵を描き始めた。
 
透き通った氷解に閉じ込められた少年がカンバス上に流麗かつ緻密に描かれていく様は、確かに思わず見とれてしまうくらいに見事なものではあったが、真冬は自分の置かれた状況を思い出してふと我に返る。

「ちょ、ちょっと待って。それだけじゃ分からないよ……君は誰なの?」

「だーかーら。私はイブだって言ったじゃん」

「そういうことじゃなくて、君は何者なの? ここはどこ?」

「私はただここに住んで気ままに絵を描いているだけの女の子だよ。この雪原は特に名前なんてないけど……敢えて名付けるとするなら『アヴァロンの箱庭』ってところかな」

「アヴァロンの……箱庭?」

「ほら、あそこ。リンゴの実が生ってるでしょ」
 


イブが指差した先には、枝に虹色に輝くリンゴを実らせた木があった。それも一本ではなく、雪原に点在する氷塊の様にあちらこちらにと。

「って言っても、マフユには分からないか……アヴァロンっていうのは、アーサー王伝説で出てくる伝説の島。その島にはね、とても美しいリンゴの木がたくさん生えてるんだって。私がお散歩したり、お絵かきをしたりするのにぴったりの場所よ。だからね、ここは私の箱庭なの」

「絵を描く場所なら、箱庭じゃなくてアトリエの間違いじゃないの?」

「違うもん、アトリエなら家にあるもん。これでもちゃんとしたお家で暮らしてるんだから」

「家? ってことは、ここには他にも人が住んでいるの?」

「いるよ。たくさん。でも、歩いたり話したりできるのは私だけかな」

「…………」

「でもこれからは違うよ。だってマフユが来てくれたから。だからもう、私は一人ぼっちじゃないの」
 


そう言ってイブは真冬を見上げて無邪気な笑顔を浮かべると、不意に少し不安そうな表情で覗き込む。

「ねえ、もしかしてマフユはイブと一緒にいるのは嫌?」

「嫌ってわけじゃないけど……それより、今は助けを呼ばないと。他にちゃんと生きている人がいるかもしれないし」

「助けなんか来ないよ。この箱庭でちゃんと生きているのは私たちしかいないもん」

「なら、箱庭の外に行こう。こんな所にいつまでもいるべきじゃない」

「行けないよ。この箱庭からは出られないの」

「どうして? 僕が来た時は普通に入れたのに」

「入るのは簡単だよ。でも、ここから出るには条件が必要なの」

「条件? それは何?」
 


尋ね返した真冬に、イブは真っ白な息を吐き出して思わず氷の中に閉じ込めたくなるような愛らしい微笑みを浮かべて告げた。

「それはね――私を殺すことだよ、マフユ」