「何で謝るの?」
怒っているのかと思ったけど、彼はただ、不思議そうな表情。
本当に、どうしてなのかわからない、というような声だった。
「え…だって、速いって、言わなかったから」
流風の表情をうかがいながら答える。
彼はまだ、きょとんとしていた。
それから困ったように目を伏せる。
「あー…。俺の言い方、きつかった?別に俺、謝って欲しかったんじゃなくて」
流風は一度言葉を切ると、上手い言葉を探すように、視線を宙へさまよわせた。
「なんてゆーか……その、俺、言われないとわかんないから。言ってくれなきゃ、気付けないし」
たどたどしい言葉がまとまらないまま紡ぎ出され、私にとって意味のあるものにならず、空気に溶けていく。
「上手く、言えないけど」
言葉を探すのを諦めたように、流風のいつも通りのはっきりした話し方に戻った。
一瞬、言いたいことをまとめるように視線を泳がせ、茶色がかった黒い瞳を私へと向けてくる。
「言いたいことあるなら、言えよ。わがままでも、何でも。無理して合わせられるのは、俺が嫌だ」
──いつも、そうだ。
いつだって流風は、まっすぐに。
優しく包もうともしないその言葉は、ときにきつく聞こえることもあるけれど。
まっすぐにぶつけられたその言葉は、決して特別なことを言ってるわけじゃないのに、耳に残る。
当たり前のことを、当たり前に言っているだけなのに。
思ったことを伝える、なんて、小さい子どもでも出来るような、当たり前のことなのに。
「……うん」
私の反応が薄かったからだろうか。
流風は気恥ずかしそうに目をそらし、行くぞ、と呟いた。
歩き出したそのペースは、さっきよりはゆっくりだけど、それでも私よりも少しだけ速い。
普段の私なら、これくらい自分が合わせようとするだろう。
でも、今は。
「ねえ」
先を歩く背中に、呼びかける。
大人になるにつれて出来なくなっていく「当たり前」を、今も「当たり前」にやってのける、彼の背中に。
「もうちょっと、ゆっくり歩いて」
「当たり前」を「当たり前」に出来るって、すごいことだ。
立ち止まって振り向いた流風が、「歩くのおっそ」と笑った。