願書が仕上がったのは、夜中の1時近かった。
ほんの少しだけ、と思ったお酒が気がつけば止まらなくなった。
酔いがまわるほど、あの悟と腕を組む彼女の事が頭をいっぱいにしていったのだ。
気がつけば大切なワインに手を伸ばしていた。
結婚したての頃、悟が海外研修で買ってきてくれたみちかと同じ年の高級ワイン。
大切にずっと飾ってあったそのボトルはここのところ目障りに感じていた。
2人の歩んできた数年間は一体何だったのだろう、未来も簡単に壊れてしまうのだろうか、そんな風に思いながらグラスにワインを注いでいたらあっという間にボトルは空っぽになっていた。
いつのまにか記憶が飛んでいき、悟に揺さぶられて、みちかは意識を戻した。
仕事帰りの悟は、「これ、君が全部飲んだの?」と、空のボトルを指差し、問い詰めた。
みちかは今までお酒を飲んだらすぐにそのビンや缶を処分して、悟に気づかれない様に飲んだ分の補充をしていたのだ。
何も知らなかっただろう悟には信じがたい事だったのだろう。
「君ってこんなにお酒が飲める人だったの?」と驚いていた。

そんな呑気な事を言う悟にみちかは怒りがこみ上げそうになった。
あなたのせいよ、と叫びたい気持ちを抑えたら次から次に涙が出た。
言葉にしなければ何も変わらない、なにも伝わらないのは分かっていたけれど、言葉にしたら全てが台無しになりそうで怖かった。
自分はなにも悪くないのに、気持ちを爆発させたら今すぐに何もかも失ってしまうような気がしたのだ。
もはや形だけだとしても、この今の自分の幸せと乃亜の将来、全てが壊れてしまうような気がした。
だからみちかは「受験が怖くて。でも泣いたらすっきりしたし頑張れる気がしてきた。もう大丈夫。」と悟に告げてリビングを出た。
その後の眠りが浅かったのか深かったのかもよく分からない。
いつものように朝が来て、悟を会社へ送り出し、乃亜を幼稚園へ送り出した。
今日はお教室で百瀬に会える、それだけが自分の支えだったのは間違いなかった。

「いや、そんな事ないです!そういう意味じゃなくて…。」

百瀬が両手を広げ、違う違うと横に振る。
可愛いなぁ、とみちかは微笑み、途端に心を開きたくなった。

「昨夜、実は飲みすぎちゃったんです。だめですね、今日は大切な百瀬先生の面接の日なのに。」

「友利さん、お酒飲まれるんですか?」

目を丸くして驚いている百瀬にみちかは頷いた。

「飲みます。私、不安な時ほどたくさん飲んじゃうんです。」

「そうだったんですか…。意外です。え、ご自宅で?」

みちかは、「はい、もちろん。」と笑った。

「百瀬先生も飲まれますか?」

「僕、飲むんですけどすぐ酔っ払っちゃうんですよ。それでいつも関崎先生にからかわれています。」

みちかと百瀬は笑った。

「酔った百瀬先生、見てみたいです。」

そう言ってしまってから、なんという事を自分は言ってるのだろう、とみちかは恥ずかしくなる。
でも百瀬の笑顔には何も変化は無かった。
「いやいや、見ない方がいいです。」と涼やかに笑いながら赤いペンを握り、聖セラフの願書へと目線を落とした。

寂しいようなホッとしたような気持ちで、みちかはまた百瀬のきれいな手元を見つめた。