流れ続けている水道の水に気づいて、慌てて蛇口を締めた。
洗剤の泡まみれになった乃亜の小さなご飯茶碗を手にしたまま、キッチンで一時停止のように立ち尽くしていた。
こんな事をもう、ずっと繰り返している。
静まり返った部屋で、みちかは一人ため息をついた。

久しぶりにプールで泳いだせいか、夕飯を食べ終わると眠そうにしていた乃亜を急いでお風呂に入れ、たった今、寝かしつけた。
時計を見るとまだ20時過ぎだった。
食器を洗い終えると、みちかはもう一度ゆっくりと湯船に浸かるため、リビングを出た。

ひばりと電話をして、もう数日が経つ。

あの日の晩、帰宅した悟にみちかは聞いた。
実はアムリタホテルの前を通りかかって悟を見かけた事。
普通の会話を交わす時のように冷静にいつものように話した。
「一緒に居た方はどなた?」と、柔らかく聞くと、悟は焦る様子も無く「部下の女の子と、挨拶回りの途中にランチで立ち寄ったんだ。」と答えた。
「最上階にある鉄板焼き屋を知ってる?すごく美味しいよ、目の前でシェフが焼いてくれる牛ロースステーキが最高だったよ、今度君も行く?」と、悟は悪びれる様子も無く、流暢に笑顔で言った。

それ以上は何も聞かなかった。
本当だと思ったし、それで十分だと思った。
腕を組んで歩いていた理由は、怖くてどうしても聞けなかった。

けれども日が経つにつれて、どんどんと不安になっている自分がいる。
悟を取られてしまうんじゃないかという、今まで抱えた事のない感情が溢れ、その想いに翻弄されてしまっている。
気づけば家事をする手が、乃亜の解いたワークに丸をつける手が止まっているのだった。

悟は自分の知らない所で、あの子と何をしているのだろう。
どんな会話を交わして、どんなメールのやり取りをしているのだろう。
あんなに良い雰囲気の2人は一体どこまでの関係なんだろう、いつも最後はそんな所まで想いが行き着いてしまうのだ。

バスルームの大きな鏡に裸の自分が映っている。
太らないように気をつけてはいるけれど、間違いなく昔に比べて肌の質感は変わった。
昔の自分とは違う、それは服を脱いだ時に一番感じる。
バスルームの棚に飾りのように置いてあったmellow luxeのボディスクラブをはじめて開けた。
先日悟が持って帰ってきたこのスクラブは限定品らしい。
クルミの殻で出来ているという焦げ茶色のスクラブは、手に取るとジャリっとした不思議な感触をしていた。
それを太ももから足先にかけて両手で広げながら、スクラブなんてかけるのは何年ぶりだろう、とみちかは思った。
バスルームいっぱいに広がる、チョコレートとアーモンドの香り。
甘ったるいその香りが悟と歩いていた彼女と結びつく。
メロウの社員だという彼女も間違いなくこのスクラブを愛用しているのだろう。
マッサージを終えてシャワーで洗い流した肌はまるで他人の肌のようにつるりと、なめらかになった。
彼女の肌に近づきたい、そう考えている自分に、ゾッとしながらみちかは湯船に浸かった。