取引先を出た頃にはちょうど11時を過ぎていた。
地下鉄の駅へ向かい友利と可那は並んで歩く。
強い日差しに顔をしかめながら可那は友利をそっと見上げた。
ビジネスバッグとさっき店を出てから脱いだスーツのジャケットを彼は片手に持って歩いている。
可那の好きな骨張った長い腕が、腕まくりで露わになっているのがたまらなくドキドキする。

「友利さん、お昼どうしますか?」

数メートル先には地下鉄の入り口が見えてきた。
このまま帰社するなんて絶対にありえない。
2人きりでランチを食べて友利とまた距離を縮めるんだ、そう可那は決めている。

「ちょっと遠いんだけどさ、前に話したアムリタホテルの鉄板焼き屋、どう?」

友利の呟きに、可那は目を輝かせる。

「行きたい!アムリタホテル、行きましょ!」

目の前のその腕に今にもしがみつきたい想いを抑えながら、可那は小さく叫んだ。
会社と反対方面にあるアムリタホテルまではここから地下鉄で約30分程かかる。
友利と電車に揺られて片道30分、2人きりの時間が更に増えるなんて好都合だ、と可那は思った。

「友利さん、アムリタホテルの方はよく行くんですか?」

お昼前の空いた車内で、2人寄り添い座りながら可那は甘えるように友利を見上げた。
今日も彼の髪はツヤツヤしている。
クシャッと触ってみたい、なんて思いながら可那は友利に微笑みかけた。

「んー、あんまり。今後は頻繁に通えるようになりたいけど。」

「ん?…え?どうゆう意味ですか?」

友利のおかしな返答に可那は目を丸くした。
そんな可那を見て、友利は恥ずかしそうに笑った。

「近くに娘の第一志望校があるんだよ。受かれば、ちょくちょく通えるようになるかなぁと思って。」

友利の口から珍しく『娘』という言葉が出て来て可那の胸はざわついた。

「え?待ってください?お嬢さんて、まだ幼稚園生ですよね?」

確か友利の娘はまだ小さいはずだ。
可那は首を傾げた。

「そうだよ、今、年長。小学校受験するからさ。」

「ふーん。お受験?て、やつですか?」

「そうそう。お受験。」

そういえば、と可那は思い出す。
いつか夏子と涼と飲んだ時、友利が初等部から貝聖大だという話題が出た。
アムリタホテルの近くにどんな小学校があるのかは知らないけれど、友利は自分の娘にも小学校受験というものを経験させるのかぁ、と可那はぼんやりと思った。
地方出身の可那にはお受験というものが今いちよく分からない。
地元には私立小学校すら存在しなかったし、幼稚園のうちから勉強だなんてした事が無かった。
字が読めた記憶すらない。

「へぇ…すごい。なんか大変そうですね。」

「まぁね。今日も模擬試験を受けに塾に行ってるよ。」

友利のなんだか嬉しそうな表情を見て、可那は面白くないなぁ、と思った。
娘の話、しかもお受験なんて全く興味も湧かない。
そんな事より、話したいことは沢山あるのだ。
可那は社内不倫をしている上司の噂話に話題を変えた。