「そういえば、先日…。映画館で、先生をお見かけしたんです、私。」

照れたように笑う、友利みちかの顔を百瀬は見つめる。

「え…?」

映画館と聞いて百瀬は一瞬で、自分の体中の血の気が引いて行くのを感じた。

「先生は、とても素敵な彼女さんがいらっしゃるんですね。あまりにも可愛くて、私、見惚れちゃいました。」

無邪気に笑みを浮かべながら、嬉しそうに友利みちかが言った。
百瀬は背筋が凍りつくような思いでなんとか笑ってみせた。

最悪だ…、と思った。
梨沙と一緒に居るところを、まさか友利みちかに見られていたなんて…。

2人でパン屋の角を曲がり緩やかな坂を登る。
百瀬は押し黙ったまま、静かに記憶を辿った。
あの日も梨沙は、映画館でしつこく身体を寄せてきた。
何度もキスをせがまれたし、いつものように人目もお構い無しに、きわどいところを触ってきたりもした。
それをまさか友利みちかに見られてしまうなんて…。

気がつくと、百瀬は口を開いていた。

「あの…。彼女とは、別れたんです。」

「え…?」

友利みちかが立ち止まり、口に手を当て驚いている。

「その、映画を観た日が最後でした。」

「やだ…。ごめんなさい、私、余計な事を言ってしまって…。」

うろたえている友利みちかに、百瀬はなるべく明るく言った。

「いえ。いいんです。僕の仕事が忙しくてなかなか時間も合わなくなっちゃったんで。思い切って別れてスッキリしてます。だから気にしないでください。」

「そうなんですね…。」

友利みちかが申し訳なさそうに佇んでいる。

その友利みちかの後ろには、大きな邸宅がある。
百瀬は、もしかして、と思い表札に目線を流すと「友利」という文字が見えた。

「いえ。本当に、お気になさらないでください。それより、友利さんのお家って、こちらですか?」

「あ、はい。ここなんです。長い距離を、本当にありがとうございました。」

そう言って、友利みちかは一歩二歩と百瀬に近づく。
百瀬は、乃亜を友利みちかの腕の中へとそっと手渡した。

こんなに近づくのは初めて、という程近い距離感で、百瀬は友利みちかを見つめた。

伏目の表情、ほんの少しだけ触れ合った手の感触、近づいてはじめて気づいた甘くて柔らかい香り、まとめた髪の1本1本の艶感。

こんなに素敵な人はほかに居ない、完璧だ、と確信する。

「先生とお話できて楽しかったです。文集、楽しみにしていますね。」

そう言って、百瀬がはじめて見るような人懐こい表情で、友利みちかは笑った。