「お疲れ様でーす。」

勢いよく3つのビールジョッキがぶつかり合う。
可那はジョッキの3分の1程のビールを喉に流し込むと大きく息を吐いた。

「ふぅ、美味しい!生き返るー!」

可那の向かいの席に座る夏子が既に空っぽのジョッキを片手にガハハと笑う。

「だろうね。セミナー準備1人でやらされるなんて、私も経験した事ないわ。当日も1人で進行?」

「はい。部長挨拶以外は全部1人です。」

可那が大袈裟に顔をしかめて見せると夏子は「わお、マジで?」と驚いた。
そしてすぐに「すみませーん。」と高くよく通る声で店員を呼びビールをオーダーした。

「夏子さん、早ーい。」

涼がメニュー表をみんなに見えるようにテーブルに広げたので、ついでに料理もどんどん選びオーダーした。

夏子が指定した、オフィスからほど近い雑居ビルの中にあるこの居酒屋は、創作料理が美味しくて社内でも評判の店で、探し当てたのも流行らせたのも夏子本人だった。
この店の他にも数多くの美味しい居酒屋が夏子の頭の中にはストックされているので夏子を交えて飲む時は必ず夏子に店を決めてもらう、というのがお決まりだった。

「南ちゃんて、メロウに出向してもう何年経つんだっけ?」

夏子がお通しのカルパッチョをフォークで器用にすくい上げながら言った。
メロウとは、mellow luxeの愛称で社内では皆そう呼んでいる。

「もう丸5年経ちました。」

「え、もう、そんなに経つんだっけ!?」

可那の隣で涼が大げさに反応する。

「もう丸5年か。ついに南ちゃんにも試練の時が訪れたわけね。」

夏子が半分ふざけたような遠い目をして言った。

「夏子さん、メロウに行ってからというもの、私ずっと試練ですよ。」

そう言って可那はビールジョッキの持ち手を勢いよく掴んだ。

可那と涼がこの大手化粧品メーカーアデールに入社してもう丸10年が経つ。
その10年前に新入社員の教育を担当していたのが当時トレーナー職だった夏子だった。
2人よりもひとまわり年が上でベテランの夏子は、キリッとした顔立ちも手伝ってか厳しくひたすら怖いイメージで、可那も涼も当時は当たり障りのない会話しか交わすことができなかった。
それが入社4年目のある日、たまたま3人で飲む機会があり、可那と涼が酔った勢いで仕事の不満を夏子にぶちまけてしまってから、急速に距離が縮まった。
酒に強くて、盛り上げ上手なのにいつもどこか冷静で、情もありながら的確なアドバイスをしてくれる、そんな夏子に可那も涼も今では絶大な信頼を寄せている。

現在夏子は社内でのお客様相談窓口業務の傍ら、自らの希望で週の半分はチーフマネージャーとして店頭での販売職に就いている。
社内でのいくつかの派閥はあるものの、経験豊富な夏子には可那や涼だけでなく社内の誰もが一目置いている、そんな存在だった。