友利みちかが居なくなり教室に一人になると、百瀬は教室の片隅で起動していたノートパソコンに歩み寄りキーボードを叩いた。
そして昨年度の私立小学校入試情報の一覧を画面に出す。

聖ルツ女学園の入試倍率は4.5倍。
高い年は倍率が5倍にまで膨れ上がる事もある程の人気校だ。
対する聖セラフ学院小学校の昨年度の入試倍率は3倍強。
2年前に新校舎に建て替えた事もあって、首都圏の併願校としてここ数年一気に人気が上がりこちらもなかなかの高倍率だ。
でもやはりルツ女に比べたら聖セラフの方が受かる確率ははるかに高い。

近頃はルツ女対策にも力を入れているとは言え、ペーパー試験の出来具合に合否を左右されやすいルツ女に比べたら、行動観察考査に重点をおく聖セラフの試験の方がサンライズ体操教室としても百瀬としても力になれる事は多いのだ。

両校は毎年試験日が重なるため併願ができないのだが、聖セラフは今年度から新たにB日程として、もう1日、試験日を設定するそうだ。
ただし、A日程の募集人数60名に対し、B日程の募集人数はたったの10名だ。
幼児教室向けの説明会でも話があったがB日程の倍率は相当なものと予想される。
下手をしたらルツ女と変わらない倍率になるかもしれない。
そんなわけで両校の併願は大変難易度の高いものとなってしまう。

友利みちかの不安そうな表情が百瀬の頭をよぎった。
何としてでも、試験の終わる秋には友利親子を笑顔にしたい。
志望校がルツ女だとしても聖セラフだとしても必ずどちらかの学校へと合格に導かなければいけない。
百瀬は立ち上がり、事務室へと向かった。



「もーもちゃん。」

不意にノーマークだった背後から声をかけられ百瀬はビクッと背中を震わせた。

「うわ!びっくりした!」

振り向くと関崎がニヤリと笑っている。
仕事着のスウェットではなく、既にスーツに身を包んでいる所を見ると仕事を終えて帰る所なのだろう。

「関崎さん、帰るんですか。」

「当たり前だよ、お前、今何時だと思ってるの?」

関崎は呆れ顔で事務室の壁の時計を指差した。

「あれ、22時…。」

「そうだよ。お前、これどうしたの?聖セラフと…、ルツ女の過去問?」

百瀬のデスクの上の、山のようにプリントアウトされた過去問の束を関崎が手に取り1枚1枚めくっている。

あれから事務室の自分のデスクに戻り、ルツ女と聖セラフの攻略を考えていたらいつのまにかエスカレートしてしまい、仕事の範疇ではない、ペーパーの過去問まで確認してしまったのだ。
過去数年分まで。
百瀬は自分のしている事がなんだか急に恥ずかしくなってきた。

「お前、まさかお教室でも開く気?百瀬優弥受験教室。」

「違いますって。」

関崎は手にしていたプリントの束を、そっと百瀬のデスクに戻した。
そして、言った。

「あんまり入れ込むなよー。」

さっきまでふざけていた関崎の声色が、急に先輩らしいトーンに変わる。

「え…?」

静かな事務室に沈黙が流れた。
事務室には既に百瀬と関崎しか居ない。
百瀬は椅子に座ったまま、関崎の顔を見上げる。

「この2校、友利乃亜ちゃんの志望校だろ?
友利さんが可愛いのは俺もよく分かるけど、そんな、しゃかりきにやるなよな。」

関崎の言葉に百瀬はドキリとして黙り込んだ。

「ペーパーの傾向まで掴んでおくのは悪い事じゃねーよ。でもお前、これはやりすぎ。だいたい土曜日に、彼女放ったらかしにすんなよな。」

「あ…、はい。」

じゃあ俺は帰る、と言って関崎は事務所を出て行った。

百瀬は全身の力が抜けていくのを感じていた。
びっくりした。
突然友利みちかの話題が出て、関崎に何か変な事を言われるんじゃないかと物凄くヒヤヒヤした。

自分には関係のないペーパーの過去問をこんなにも紐解いて、今日の自分はやっぱりおかしいのかもしれない。
気がつくと友利みちかの不安そうなあの、儚げな表情を何度となく思い出している自分がいるのだ。

百瀬はなんとか気を取り直し、数時間ぶりにスマートフォンの画面に目を落とした。
するとちょうど梨紗からの着信が光っている所だった。