遠くで、
――母の声が聞こえた。
『あなたがいるから、私は束縛されてるのよ』
『母親がどうして育児をしなければいけないの?』
『家事をやるのが女の仕事なんて、おかしいわよ』
『お母さん、あんたのことを愛して……』
駄目、これ以上聞いちゃだめ。
必死に必死に耳を塞ぐと、優しい声が身体中に響いた。
『おまえはおまえだろ?』
「陽介…」
ハッと、飛び起きる。
寝たふりをしている内に本当に眠ってしまったようで、嫌な汗をかいていた。
外はまだ真っ暗でそんなに時間は経っていないだろう。
ちらりと横を見れば、こちらを向いた陽介の綺麗な寝顔が目に入った。
後味の悪い夢のせいでひどく気持ちが落ち込む。
恐怖さえ、生まれるけれど。
陽介の体温をこんなに近くで感じられる今夜は、まだ大丈夫。
「ありがとう」
小さく声に出した。
夢の中でも私のことを助けてくれるんだね。
「寝ぼけてるのか」
「…起きてたの?」
「起こされた」
「ごめん」
陽介はそれ以上なにも言わずに、腕を伸ばした。
「え…」
伸びてきた腕は私の背中に回り、強い力で抱きしめらる。
「俺、眠い。早く寝ろ」
「陽介…」
「おやすみ」
「…おやすみなさい」
一方的に終わらせられた会話。
縮められた距離について考える間もなく、私も深い眠りに堕ちた。
安心できる腕の中では、もう母の夢は見なかった。


