巫山戯るのもいい加減にして欲しいものだ。
ただでさえ忙しいこの時期に医大からの研修医の取り入れとは何事か。無性に焦りやら呆れやらが混み上げてきて、立ったままカルテをぞんざいに読み漁った。ガサガサという紙の音が事務室に響き渡れば、向かい側に座っているやけに童顔の男がこちらを苦笑しながら見てきた。
「そう怒らないで下さいよ。ここも人手不足なんですよ?丁度いいじゃないですか。」
終始笑みを絶やさず話し続けるこの好青年のような男は、僕の後輩の手越陽音だ。まさに絵に描いたような好青年なのだが、どうも治癒の方法が独特で僕には全くの理解が追いついていないのだ。なんせ、いつも変な掛け声が診察室や治療室から聞こえてくるのだから。それと、医者のくせに茶髪で性格だけでなく、髪色まで明るい始末だ。
それよりもこの男はひとつ勘違いしている様だ。
「僕は何も怒っているのではない。呆れてものも言えんのだ。」
一睨みしてみるも、やはり好青年は笑いの絶えない幸せな奴である。
「ほら、やっぱり怒ってるじゃないですか。」
あははと面白がるように笑ったかと思えば、今度は机に両手をつき支えにしてキイッと椅子の軋む音を立てながらゆっくりと立ち上がりコーヒーメーカーの前に立って、少し傷のついた白いマグカップを2つ手に取ると手際良く珈琲を煎れ始めた。
「何度も言うが僕は怒ってなどいない。だいたいこのただでさえ小さい地方病院にこれ以上医者を受け入れる余裕など無いのは分かっているだろう。」
いつも左眼に被さっている妙に長い前髪が急に邪魔に思えて、髪をかきあげては頭を搔いた。そろそろ髪を切った方が良いだろうか、などと考える暇さえないのだ。
この紅陽病院は今でこそ腕の優れた医者揃いだが、今の院長が赴任する前まではただの街内科のような所であった。
院長は人が良いために、研修医の取り入れを許可してしまったのだろう。いいや 、それだけとは言い難いものだ。この病院はその医大…つまりは手井医学大学との連携を取っている。それ故に、他を当たってくれなどという戯言は以ての外なのだ。なれば、研修医の指導という面倒事は後輩に押し付けて僕は全く関わらないでおこう、という訳にもいかないのである。この話を聞けば、何か誤解をしてしまうかもしれないが、僕は院長が悪いと言っている訳ではなく、街内科時代の先代が決めたルールブックが気に食わないのだ。街内科の規模を見誤って、院長というただの上部だけの立場だろうに随分と横柄になっていたようだ。会ったことも話したことも当然の如く無いが、ひとり舞い上がって自分は大したことを為さない癖に部下を見下し、高みの見物をしていたのだろうという事くらい、そのルールブックを読めば分かることだ。実に、この様な人種はいけ好かない。