的外れな感覚が、次から次へと襲った。何だか妙な。気持ちの悪い。
そこに、永田が静かに、トボトボとやってくる。
「うおー……、仲良いな。目ざわり。キムチ。ふなっしー喰えよぉ」
元気が無い。(いや、静かでいいよ?)
「あのさ、また面倒くさい事なんだけど。いいか?」
桂木にSOSを発しているようだが、何故それを俺に訊ねるのか。成り行き上、頷くと、「後でメールするね」と言い残して、桂木は永田の後に続いた。
そのメールはすぐにやってきた。
『男子バスケの件。相談したいんだけど。帰りながらで、いいかな?』
『だったら生徒会室に居るよ』と返信。
〝一緒に帰る〟〝だから終わるまで待っててくれる?〟
本当はそれが言いたかったに違いない。
純粋に相談だけなら、明日でもいい筈だ。
桂木は……これから、この状態をどう受け入れて、どう戦っていくつもりなのだろう。一緒に帰る事を突破口とし、そこから外堀を埋めるように、徐々に深く浸透していこうとしているとか。
結論も何も堂々巡りで、再び生徒会室に戻ってきた。
部屋の中から声がする。誰か居る。
それは、帰った筈の真木と右川だった。
入ろうかどうしようか、迷った。てゆうか、右川のヤツ、まだ居たのか。
こんな時間までお宝探しか。俺は、ドアの外で2人の会話に聞き耳をたてた。
「きょうだい居ないから」
「それは、あたしと一緒ね」
ウソつくな!
うっかり、ドアを蹴倒してツッコミそうになる。
部屋の中からは、何やらゴソゴソと物音に続いて、
「あたし寂しい。待ってるなんてイヤ」と、神妙な右川の声。
「待たなくていいよ。待たれても、返事は同じだから」と何故かタメ口で真木が答える。
ワケが分からない。不穏な空気。部屋に入る事は許されない。そんな緊張感は感じる。
「でもあたし、きっと振り向いてもらえるように頑張る」
「ムダだよ。俺にはもう決めた人が居て」
そこで途切れた。
会話の切れ目と感じて、「うい」と、俺は何食わぬ顔で生徒会室に入ると、
「あ、先輩。まだ居たんですか」
「それこっちのセリフだろ」
「わ、まさにそれです!」とかって喜んでるけど、「何が?」
何食わぬ顔の真木と、薄汚れたジャージ姿の右川。
見れば、2人は仲良く本?を開いて、お菓子をツマんでいた。
「これですよ。さっき演劇部さんが持ってきたんですけど」
〝絶望ラバーズ~100億サイトのピエロと魔女さま〟
面倒くさくて長ったらしいタイトルがある。聞いていると、どうも2人は台詞の読み合わせをしていたらしい。こっちのセリフ……まさにそれ。
「ヤラしいシーンがあるらしいですよ。この程度なら文化祭でやってもいいですかって」
真木が、付箋の付いたそのページを開いて見せた。
「つーかさ、このラブストーリー、やってて恥ずくない?読んでて下がるゥ~。吐きそう」
俺も苦笑した。
「〝俺〟って、言い慣れないなぁ。いくらお芝居でも僕には難しいです」
「マッキーは〝俺〟っていうタイプじゃないもんね」
「それでいいだろ。1年の分際でそれをやると間違いなく先輩に睨まれる」
〝俺〟のように。
「それよりさ、明日って何やんの?今って計算以外にする事無いの?」
俺は元より、これには真木もピクリと反応した。
「こびと先輩、この所、ずいぶんやる気ですね。急にどうしたんですか」
「一応あたし、かいちょーだしさ。3時半までだけど、ちょっとお手本を♪」
「おまえ、本当に右川?」
一体、どうしちゃったのか。
「3時半っていうか、最近は遅くまで残ってるじゃないですか。今日だってもう5時ですよ」
「らしくないよな」
「らしくないですよ」
そこで、「そだね」と来て、自然に、「じゃ、帰るね♪」と続いた。
そうは行くか!と身を乗り出したのは、俺ではなく、真木の方である。
「ダメですよ。僕の話はこれからですって」
「つーか、ミノリは?沢村、一緒じゃなかった?」
「バスケの雑用を済ませて、後から来るけど」
俺は、右川の意味深な目線を避けながら、
「そういや真木、部活は?終わるの早くないか」
「今日は後半、自主練でした。なので今から、ちょっと別のアピールを」
アピール?また何かの買収?
そう言う事はいいから、と言い掛けると、「ちょうどよかった。桂木先輩を待つついでに、沢村先輩も聴いて下さい」と、右川の横並びに座らされた。
「マッキーが演奏を聞かせてくれるんだってさ♪」
「へぇー……」
真木が、おもむろに楽器を取りだして音を試しに出し始める。
リコーダーであった。
その様子を眺めて、一体どういう演奏になるのかと普通に興味が湧いてくる。俺はおとなしく真木の向かい、右川の隣に腰掛けた。
右川がパチパチと手を叩く事に釣られて、俺も叩く。
「では、今日はせっかくなので、御2人には僕の好きな曲を」
〝光の輪舞曲〟
リコーダー。つまり、縦笛。
小学校の頃、音楽の時間に合奏で使った事がある。
だから音色には馴染みがあった。
真木のリコーダーが鳴り始めた途端、その音がどうと言うより、一瞬で自分が小さいガキの頃に戻ったような錯覚を覚える。その頃の匂いとか、温度とか、遊んでいた部屋の壁紙とか……脳裏に鮮明に蘇った。
一見、頼りなく見えるリコーダーだが、その音色は意外に直情的で、無抵抗に思い出をこじ開けられる。うっとり聴き入っていると、自動的に眠りに誘われて……予算も何も、我がまま勝手放題のそこら辺も、自分の思惑とはどんどん外れていく桂木との色々も……どうでもいいか。
ふと見ると、右川はモジャモジャの頭をリズミカルに振っていた。
こっくりこっくり。
リコーダーの音に合わせてリズムを取っているのかと思いきや、そうではない。俺と同じで、恐らく眠気と戦っているのだ。そのうち、もう我慢できないと観念したのか、リコーダーの淡い音色に誘われるように首を横たえて。
とん。
俺の肩にモジャモジャ頭を預けた。
軽い弾力が腕に広がって、こっちの首元には右川の髪の毛が微妙に掛かる。
くすぐったい。お陰で、こっちは健やかに寝てられない。
すぴーすぴー……と、その寝息は規則正しいリズムを刻んだ。
これまた、いつかを思い出す。
どうせ夢の中、俺は山下さんとすり替わっているだろう。そして夢の中、俺と同じように、〝現実を受け入れて、戦え〟と、説教されているのかもしれない。
だが……そういう顔ではないな。
寝顔はまるで、バースディ・カードには何を書こうかと嬉しそうに迷って……そこでヤラしそうに、エへへ♪と笑う口元を見ていたら、あーいまだにエクボは健在かと、眺めて……ていうか、また太った?
右川は眠りながら、こめかみに掛かる髪の毛が痒くてしょうがないらしく、邪魔だとしきりにそこら辺を指が探っている。だが、なかなか取り除けない。
俺は、しょうがねーなとばかりに、その髪の毛を、指で弾いて払った。
そこで……真木と目が合った。
途端に、血の気が引く。
俺は、今の今まで、真木の存在がすっかり抜け落ちて。
右川を観察しているその間、真木はといえば……眉根を寄せ、目は瞳孔が開きそうな程に大きく見開いて〝この状況を、僕はどう捉えたらいいんでしようか〟と、何かに迷いながらも演奏を続けていたのだ。
沢村先輩は、何で普通にされるがままなんですか?
何でそこまで、無抵抗で馴れ合ってるんですか?
拒絶しないんですか?
これって、つまり友情とかそういう類の思いやりの延長、って事でいいんでしょうか?まさかそれ以上の!?
演奏が進む毎に〝そこまで仲良かったでしたっけ?〟と真木の疑惑の視線が熱く絡まる。
そして、俺達は恐らく、同じ事を考えたのだ。
〝この状況を、桂木に見られたらヤバくないか〟
雑用を終えた桂木が、もし今ここに飛び込んできたら……だが、その心配は杞憂に終わった。程なくして、演奏は余韻を残して、静かに終わったのだ。
途端に、右川がグラリと頭を向こうに振って、目を覚ます。
「マッキー、すっげ。感動しちゃったし。神~♪」
「寝てただろ」
「そうですよ。沢村先輩の言う通りだぁ。寝てたじゃないですか」
真木が、俺に向かって大きく頷いた。
僕は沢村先輩の悪いようにはしません……と知らせてきたように思うのは気のせいか。
「こびと先輩って、黙って寝てる時は意外と可愛いですよね」
〝さっき沢村先輩も、ちょっとだけ、僕と同じ事考えたり、してました?〟
挑発とは、考えすぎだろうか。
〝僕は沢村先輩の味方です。今日のことは誰にも言いません〟
染まってないとは、もう言えない。これはまるで吹奏楽の……深い深い所で何か企む目であった。早くもその片鱗を見せたか。
俺は何も答えなかった。
まるで真木にまで弱みを握られてしまったように感じて、寒くなる。
「あ!貞子っ」
「うぎゃう!」と自慢のリコーダーをスッ飛ばし、真木はまたしても飛び上がって転んだ。
右川に狙われ、イジられ、愉快愉快♪と笑われて……そんな所まで、重森と似てきたような(気がする)。
ややあって、落ち着きを取り戻した真木は、
「僕、リコーダー愛好会を発足します」
と言う。
「今は僕1人ですけど。リコーダー奏者として独立というか、ささやかに活動しようと思って。なんとか、吹奏楽と両立します」
真木は、リコーダーを愛おしそうに撫でながら、
「阿木先輩に聞いたら、愛好会なら1人でも発足できるって聞いたので。でしたよね?」
同意を求めたその先、右川がまだ眠そうな目で、コクンコクンと頷く。
活動費もらえませんか?と、早速脅しが来るかと思ったが、それは無かった。(考えすぎ)。
「フルートも良いですけど、音を聞いてると、どうしてもリコーダーで歌いたくなって。部活の先輩にも話して。みんなにも、こうして聞いてもらう所から始めようかと」
「へーえ。やるじゃん」
思わず感心したら、真木は照れくさそうに、はにかんで見せた。恥ずかしそうにその両手で顔を覆って……そこら辺の女子より、女子らしく見える。
「文化祭とか。5分でいいので、どっかで発表するチャンスを貰いたいなぁ」
真木はイタズラっぽい流し目をくれた。
脅しか?いやこれは、ささやかな願いであり、〝夢〟。
今の現状をひとまず受け入れ、だがしかし夢を諦めず、そういう戦い方で挑むという事か。
「とりあえず単独でライブできる位、もっとレパートリーを増やさないと」
「だったらアニソンやって♪けもフレ~♪笛が合いそうじゃん」
「そうか。それいいですね!」
右川に「やって♪やって♪」と、ねだられて、真木は「だ、大丈夫かな。楽譜が無いけど」と1度泣き言を呟いて、それでも言われるまま次から次へとアニソンを披露した。
けもフレ。
ユーリ。
進撃の巨人。
その額には汗が滲む。だが息切れは無かった。
初めてかもしれない。
真木が今までで1番、強く、逞しく見える。