「……光希歩」
「みきほ?」
彼女はコクリと頷いた。
「岸元 光希歩(キシモト ミキホ)」
岸元光希歩。
綺麗だ。ずっと知りたかったあの子の名前。
こんなにも人の名前に感動する日が来るとは思わなかった。
「じゃあ、光希歩って呼んでいい?俺は翔琉でいいから!」
名前で呼びたかった。
二階と地面との距離を。彼女との距離を。少しでも縮めたかったから。
彼女は何も言わず、首を縦に小さく振った。
なんだかよく分からない、ジワジワとした熱いものが俺の中でどんどん増えていく。
「あの…時間が…」
そう呟く光希歩に気付き、ロータリーの真ん中に立つ時計台を見る。
長針がカチッと動き、三十五分を指したことがはっきりと分かった。
「やばい!ごめん、俺帰るわ!」
再び自転車にまたがった時、ふと思い出して振り返る。
「明日!…いや、これから毎日、このくらいの時間に話せへんかな?無理にとは言わんけど!」
すると彼女は少し考えたような表情をして「偶然会うことが出来たなら…」と言った。
それで良かった。十分だ。
俺は嬉しさのあまり、満面の笑みがこぼれていただろう。
自分でも分かるくらい幸せを感じていたのだから。
俺はそのままペダルを踏んで軽快に走り出す。
マンション横の細い道に差し掛かった時、カラカラッと小さな音が聞こえた。
怒られる、という気持ちなんて今の俺には微塵もなかった。ただ嬉しくて。心臓がうるさいくらいにはね、ペダルを踏むスピードがどんどん上がる。風を切って前に進む。
今なら地球の裏側まで届くくらい大きな声が出せると思った。
光希歩のことが好きです。
いつかそれが、地球の裏側でなく、光希歩の心に届くことを願って。声ならぬ声で俺は自分だけの世界に叫んだ。



