第6話 2人は良い子

「こんばんわ!」

決してイケボとはいえない声で爽やかな挨拶を無理矢理繰り出す。

「こんばんわ!」

この声を聞いた途端に僕の頭の中にはとある童話が浮かんでいた。

ああ!僕の大切なブサイクボイスが湖に落ちてしまった!

いくら磨いても輝かなかった僕の声だが、それが無くては話すことが出来ません。
困り果てた僕は静かに湖を見つめることしかできず、悲しみに耽っていました。

しばらく経って諦めようと腰を上げたその刹那、青かった湖が金色に輝き出しました。
何事かと目を凝らすと信じられない光景が!

なんと眩い光の中から美しい女性が昇ってくるのです。
そして彼女は僕を見つめると言いました。

ーー貴方が落としたのはこのブサイクな声ですか?それても、この美しい声ですか?

美しい方です!

と言ってはいけないのはお約束。

僕は声が出ないので、女性が左手に持つブサイクボイスと書かれた札を指差した。

ーー貴方は正直者ですね。それではこの美しい声をあげましょう。と、言いたいところですがそんなことをしては私が罰せられてしまうので……。

処罰とかあるのね。

ーーこの声は貴方に返し、こちらの美しい声は私が貰いましょう。

訳が分からないと立ち尽くしていると、彼女はその札を飲み込んだ後に、湖からよいしょの掛け声で上がってきたのでした。

ーーうふふ。これからよろしくお願いしますね。

ーーんんんんん!???????

「もとくーん?寝落ち?」

はっと我に返り、美しい声を呑み込んだ彼女に礼を言う。

「ありがとうこんなブサボの僕と会話してくれて」

冗談交じりに自虐すると、

「そんなことないよ!落ち着く声じゃん!」

とすかさずフォローを入れてくれた。
そこら辺のskypa民なら適当な捨て台詞を吐いて、その1秒後にはもう通話が終了されているだろう。
いや、まず連絡すら来ないだろう。

流石湖の女神様。

この時僕は彼女の声と心に少しずつ呑まれていくのを感じた。

「ありがとう。小雪も凄い可愛いよ」

「ええ!どうしちゃったのさ急にぃ」

先程より少し高く、張りのない弱った声が耳に届いた。

「いい子だなって思ってさ」

「あ、ありがとう」

「光栄に思えよ!」

「なんでよ!」

鋭いツッコミを撃たれたところで挨拶を終了し、話題を提示した。

「そういえば18歳なら高校3年生だよね?受験勉強とかしなくていいの?」

今日で10月へと月が変わり、受験がある学生達は目標の進路実現のために気合いを入れ直す頃なのではないだろうか。

「うーん……しないといけないんだけどねー、なかなかやる気が出なくて」

「勉強は面倒だもんね」

「最初はやる気満々で閉校まで残ってたり、図書館行ってたりしたんだけどね」

「ええ!すっごい頑張るじゃん!もしかして国立?」

「そうだよ。でも受からないと思う」

「うーんそっかー」

彼女が少しずつ暗くなっていくのを感じた。高校3年生にとって受験の話はあまり良いものではないのかもしれない。

「もとくんは国立?」

と思ったが、意外なことに質問を投げ返してきた。話の流れを切っては悪いと気をつかってくれたのだろうか。

「そうだね。国立でしかも地元じゃないと親が許してくれないからね」

「うわ、結構厳しい」

僕の学力をどこで判断したのか馬鹿がバレている。だからといって、勝手に決めつけないでもらいたい。
まあ厳しいのは事実だが。

「厳しいよかなり」

「あ、そういえば住んでるところってどこ?」

そうだ。住んでる県も話していなかった。
それも踏まえて何故厳しいと言った。

「新潟だよ」

多分天然のディスりだったのだろうから、海のように広い僕の心は彼女を許すことにした。

「新潟!?ってことは新潟大学?」

どうしてか彼女はとても驚いてる様子だ。
それほどまでに合格が難しいのだろうか。

「そうだよ」

特に隠す必要も無いのでさらりと答える。
その直後、彼女はまるで、はじめて回転寿司を見る子供のように興奮した様子で僕に叫んだ。

その叫びは彼女が僕の心を掴むのに取って置きの言葉であり、そして彼女の唯一の確定的な情報となる。

「私も新潟大学に受けるの!一緒に頑張ろ!」

無意味に重ねてきた幾つもの経験が光を灯し、錆びついた心の時計が軋み始め、ただ敷かれただけのレールが少しづつ崩れ始めるのをこの時の僕はまだ気が付かなかった。