第10話 絡みつく不穏

口元までお湯に浸かりながら七海さんとの短いデートを思い出していた。
会話のひとつひとつが鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。
なんと楽しい時間だったのだろうか。
そして、なんという優越感なのだろうか。

アイドル的存在の彼女と話し、お菓子を分け合った。
この学年の生徒にとっては彼女と仲良くなる以上のことはきっとない。
そのレベルで彼女は人気なのだ。

大して長風呂している訳でも無いのに逆上せてきた。
頭と体を磨き風呂を出る。

丁度髪を乾かしきったところで智樹たちが帰ってきた。

「慧も風呂に入ってたのかよ」

真っ先に僕に目を向けた智樹が言った。
こいつもよく人のことを見る。

「あれ、誰か来てたの?」

原西が出されっ放しのコップに目を向けた。

しまった。洗おうと思っていてすっかり忘れていた。
ホテルの人には悪いが髪の毛がついていたとか適当なことを言っておけばなんとかなるだろう。

「あー、それね。コップの中にか……」

そこまで言ったところで原西が、

「おい……口紅がついてるぞ」

と爆弾の起爆スイッチを押してしまったのだ。

「なんだと!?」

智樹、酒井がすかさずコップを凝視する。
僕も同様だ。

「ついてる……」

確証的な跡に僕は思わずため息をついた。

「慧がついてるとか言ってどうすんだよ」

「おいおい誰だよこれ」

「あっはー……3人に迫られるなんて人気者は辛いなー……」

誤魔化しきれませんでした。




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食堂に並べられた円卓テーブルの上には色とりどりの模様が飾られていた。
否、模様だと思ったもの全てから食欲をそそる香りが立ち、先程お菓子を食べたばかりのお腹も催促の声を出さずにはいられないようだ。

「すっげー……めちゃくちゃ美味そうじゃん」

簡単の声を漏らす酒井に原西も頷く。

班ごとに指定されたテーブルに着いて各々で合掌する。
原西と酒井がやたらと急かすものだから多分、5組の中では1、2番目に食事に手をつけただろう。
少し恥ずかしさもあったが、彼らの気持ちも解らなくはないので僕も続いて貪った。

食わず嫌いな僕だが、今回ばかりは全ての料理を味わった。
庶民の僕には少々舌に触るものもあったが、構わず食べることが出来た。

「んで、七海さんと何話したんだよ」

酒井め、まだ言うか。

「だから特に深いことは話してないって。お菓子を分け合った、ただそれだけ」

「ただそれだけって……くっそーずるいわほんとに」

「話しかけてみれば意外と話しやすい人だったりするよ」

「でも話しかけられないんだよなあ。お前も話しかけたわけじゃないんだろ?」

「なんとも言えない」

「なんだそりゃ」

「もういいだろ。食べたことだし、さっさと部屋に戻ろう」

周りを見るといつの間にか他の班はほとんど食器を片付けており、次のクラスに席を譲っていた。
あとは僕らの班とナンパ男たちの班だけだ。
あいつにだけは七海さんとのやり取りを知られるわけにはいかない。

と思った矢先のことだ。

「ちょっといい?元利」

立花さんから声をかけられ、8時に広間に来いと呼び出された。
その会話は当然のごとくナンパ男にも聞こえていて、僕の願いはまたしても打ち砕かれたのであった。