この世界にあなたはいないけれど、あなたが残してくれたこのお店を、あの娘の大事な夢を、今までの壁を乗り越えて守ると決めたから。
 
 この仮面を被ることも辛いことではない。
 あの娘がいなければ、彼は死んでいたも同然だった。どうせ死ぬなら死ぬ前に大好きな人のために生きてみようと思う。憧れた笑顔を胸に抱きしめて。
 
 あなたがいないのは今でも寂しいけれど、笑っていればあの娘がこっそり隣にいてくれるような気がする。
 
 
 
 
 
 お店の扉を叩く鈴の音が鳴れば、今日も御堂はふわりと微笑んだ。
 
 
 
 
 
「けいちゃん!」
 
 
 小さい杏奈が、下を向いて泣いてばかりだった自分に手を差し伸べてくれた。
 
 そんな思い出がふと蘇る。
 
 
 
「もう、慶太! 一人で勝手に行っちゃダメだよ」
 
「杏莉が遅いんだもん」
 
「お姉ちゃんでしょ、もう」
 
 
 お店にやって来たまだ幼い子供達が、あの頃の二人のように楽しそうな会話をしている。気弱そうな男の子を前に、豪快な口調で気の強そうなところまで杏奈にそっくりだった。
 
 彼らの後に、チリンチリンと扉が外から押された。見覚えがあるその人の顔が、くりくりとした目をこちらに向ける。
 
 
 
「こんにちは。店長」
 
「あら……もしかして莉子ちゃん? 懐かしいわね」
 
 
 かつてこのお店で働いてくれた娘が、数年ぶりにひょっこりと顔を出してくれた。
 
 吉永莉子。今は結婚して新谷の苗字だが、その旦那とドイツのフランクフルトで暮らしている。近々個人でお店を開業するらしい。今はとても忙しい時期だろう。
 
 
 
「もうそんなに経つのかしら。早いわね。立派にお母さんになっちゃって」
 
「店長はお変わりないようで。ほんとにお綺麗ですね」
 
「やだぁ、褒めても何も出ないわよ」
 
 バカ正直だった娘がお世辞も言えるようになったとは、年月の変化とは恐ろしいものだ。
 
 もしもあの娘が今でもこの世界で生きていたら、どんな大人の女性になっていただろう。
 きっと今の自分より魅力的な女性になっていたんだろう、なんて彼は思う。
 
 
 彼女にそうは言いながら、せっかくの客人を前に自慢のお菓子を振る舞う彼に、莉子はふとこんなことを尋ねた。
 
 
 
「お店の名前、まだ決まってないんですよね。そういえば店長は、今のお店の名前どうやって決めたんですか?」
 
 人の名前なんてちょっと変わってますよね、なんて不思議そうにするその娘に、御堂は柔らかく笑ってみせた。
 
 
 
「あなたがあの子達を想う気持ちと変わらないわよ」
 
 
 
 
 


 
 
 これからもヨボヨボのおじいちゃんになるまで、甘い果実の蜜の香りが漂うこの小さなお店で、一粒一粒の幸せを綴りましょう。
 
 
 
 ねえ、杏奈。