扇風機で涼を凌ぐには、厳しくなる昼下がり。
 
 かれこれ一時間もこうしていると、彼女の方も多少諦めがついたようで、彼のことを気にせず商品開発に打ち込んでいる様子。
 真剣なその娘の横顔が、慧の胸を少しくすぐる。暑さで赤くなる顔をまた窓辺に向ける。
 
 今日もまた彼女は暑苦しそうな袖をまくらず、片手にナイフと大玉の林檎を剥いている。
 その作業を続けながら、彼女は窓辺でくつろぐ慧にふと何気ないように尋ねる。
 
「慧は、どうしてパリコレをやめちゃったの?」
 
 突然舞台上から逃げてきた慧に、臆面もなくそんな問いを投げてくる。
 公園の木陰でだるまさんが転んだで遊ぶ姿をぼんやり見ている彼もそれくらいのことは想定していたようで、淡々と告げた。
 
「……もともとやりたかったわけじゃないけど」
 
 
 彼女のように、憧れとか、夢なんて綺麗なものじゃない。モデルの肩書きに彼はこだわりなんてまったくなかった。
 
 きっかけになればよかった。
 この気持ちを後悔なく杏奈に伝えられるきっかけになれば。
 男らしくなれば、大事な杏奈を守ることができる。杏奈に群がる蝿を蹴散らすことも簡単にできる。杏奈のためなら、こんな自分は武器を持つことも厭わない。
 
 蓋を開ければ、あの頃より性格はひねくれてしまったが、男みたいな乱暴な仕草も口調にも免疫がついた。これでもあっちで現役の頃は、日本人トップモデルだのなんだのと大袈裟なほど持ち上げられた。
 ようやく社会から認められたのに、それは決して嘘偽りない自分の姿ではなかった。
 
 
 
「そっか。でも、好きだったよ。モデルしてる慧。カッコよかった。だって慧にしかできないことだもん」
 
 
 慧にしかできないこと? 本当にそうなんだろうか。
 
 慧がボイコットしたパリコレのショーには、あの後すぐに代役が立てられた。
 あの世界は、所詮そんなものだ。モデルの仕事は、ショーケースにあるマネキンとさほど変わらない。お偉いさんの着せ替え人形扱い。
 
 うんざりした。だからあそこから逃げた。

 言われるままランウェイを歩く抜け殻のような日々を思い出して、頭が痛くなる。二度と戻るつもりもない。
 それなのに大好きな杏奈からそんなことを言われてしまったら、彼は一体どうすればいいのだろうか?